木村多江のデビュー秘話、“当時の所属は男性のみ”社長の心を動かしたまさかの理由

AI要約

木村多江は、舞台役者としての起点や、父親との約束から俳優としての道を選んだ経緯を語る。

舞台役者としての活動やフリーランス期間、事務所に所属する決断に至る過程を振り返る。

男らしい性格や差別化される事務所への所属経緯など、木村多江の俳優としてのキャリアの幅を垣間見る。

木村多江のデビュー秘話、“当時の所属は男性のみ”社長の心を動かしたまさかの理由

 ふと気づいたら、木村多江はテレビや映画に欠かせない俳優として存在していた。映画では作品ごとに違った顔を見せ、テレビでは、ドラマはもちろんのこと、NHK教養番組ではナレーションやナビゲーターを務め、『LIFE~人生に捧げるコント~』などではコメディエンヌとしての才能を発揮。最新作のドラマ『昔はおれと同い年だった田中さんとの友情』では、小学6年生の息子を持つ、大阪の“お母ちゃん”を演じる彼女には、何度もCHANGEの瞬間が訪れたという──。【第1回/全5回】

「遅くなって、ごめんなさい!」取材部屋に駆け込んできた木村多江が、ほんの少し息を弾ませながら、でも穏やかな声でそう告げると、梅雨空のもったりした空気に、清涼感のある風が吹いたような気がした。そして、

「THE CHANGEさんですよね。わたしの最初のCHANGEは……そうね、職業欄に“舞台役者”と書いたときだと思います」

と、記憶をたどるように語り出した。

「わたしは、人とコミュニケーションをとるのがあまりじょうずじゃない子どもで、思ったことを表現したり、意見を口に出すのが苦手だったんです。でも、習っていたクラシックバレエで踊るときは、自分を表現できたし、中学で入った演劇部でお芝居をするときは、役を通して自分が発言しているような気持ちになれた。踊ることと演じることがなかったら、わたしは息ができないと感じていました」

 高校を卒業して進んだのは、現在は音楽大学のミュージカル科。しかし、俳優になりたいという理由ではなかったという。

「踊りと演じることを続けたいから、親を説得するために選んだ感じでしたね(笑)」

 先生に勧められて受けたオーディションに合格したのをきっかけに、在学中からミュージカルの舞台に出演していたが、職業欄に書くのは『学生』。

「でも、大学を卒業したら書くことがなくなっちゃったんですね。困ったなぁ、フリーランスで舞台に立っているから……うーん、舞台役者? と書いたところから、わたしの役者人生は始まったんです」

 この道に足を踏み出したのは、21歳のときに亡くした最愛の父への思いもあった。

「卒業する前、就職するか役者になるのか迷ったとき、ふと、父はわたしが幸せなほうが嬉しいだろうな、と思ったんですよね。じゃあ何が幸せかっていうと、会社に勤めるより舞台に立っているほうが幸せだな、と」

 舞台役者とはいえ、オーディションに合格しなければ仕事はなく、その間はバイト生活。長いスパンでの予定が立てられないので、さまざまなアルバイトを経験したという。

 フリーランスのときに、出演料を巡る金銭トラブルに巻き込まれ、事務所に所属することを考えるようになった。

「当時、私はお芝居とダンスとコントを組み合わせたユニットを組んでいたんですね。そのユニットの振り付けをしてくださっていた方に、いまの事務所を紹介していただいたんですけど、当時は男性俳優しか所属していなくて。でも、いろいろとお話ししているうちに“事務所にいる誰よりも男らしいから、うちでもいいか”ってことになったんです(笑)」

 男らしい……? 木村多江からは遠いところにある表現に思えるが、いったいどんなところが男らしかったのだろうか?

「どんなところだったんでしょうね? 性格じゃないでしょうか。考え方がスパッとしていて、あんまりグチグチ言わない。江戸っ子なんですよ、たぶん。うふふ」

 柔らかな声で笑う木村多江の瞳の奥に、気っぷのいい、男前の女性がチラリと顔を出した。

木村多江(きむら・たえ)

1971年3月16日生まれ。東京都出身。学生時代から舞台に立ち、’96年にドラマデビュー。’08年公開の主演映画『ぐるりのこと。』で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞、高崎映画祭最優秀主演女優賞を受賞。主な出演作はNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』、『あなたの番です』(日本テレビ)、『忍びの家 House of Ninjas』(Netflix)など。NHK Eテレ『木村多江の、いまさらですが…』ではMC、NHK BS『美の壺』ナレーションを担当。

工藤菊香