17日選考会の第171回芥川賞展望 演者と観客、外国人と日本人、会社と労働者…分断状況どう乗り越えるか 切り口共通する候補作

AI要約

第171回芥川、直木賞の選考会が開かれ、候補作の作品内容や評価が議論されました。朝比奈秋さんの「結合双生児」や尾崎世界観さんの音楽業界を扱った作品などが話題になりました。

選考委員はそれぞれの作品について深く論評し、詩的な表現やテーマの展開などを分析しました。著者の独自性や作品の新しさ、社会的テーマの取り上げ方についても意見が交わされました。

作品の中には登山や外国人労働者、幽霊などさまざまな要素が取り入れられており、それぞれの作品に独自の魅力があることが評価されました。受賞予想では「サンショウウオの四十九日」などが有力視されています。

17日選考会の第171回芥川賞展望 演者と観客、外国人と日本人、会社と労働者…分断状況どう乗り越えるか 切り口共通する候補作

 第171回芥川、直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が17日、東京の料亭・新喜楽で開かれる。芥川賞は2度目の候補入りとなったミュージシャンの尾崎世界観さんや、林芙美子文学賞、三島由紀夫賞など実績豊富な朝比奈秋さんら5人が競う。映画監督の遠山昇司さんと日本近代文学研究者の茶園梨加さんが、展望を語り合った。

 -朝比奈秋さんの作品は、一つの身体に杏と瞬という姉妹の意識が宿る「結合双生児」について書いた。

 ★茶園 2人の脳は一つだが、独立した意識を持っている。そこから、意識はどこにあるのか、という問いに結びつく。なかなか目を向けられないマイノリティーをただ扱うのではなく「私って何だろう」と私たち自身の問題につなげていた。いわゆる一人一人の人だって、他人の思考が混じることがある。

 ★遠山 普遍的な問いを提示していた。亡くなった伯父の遺品から、哲学者西田幾多郎の「善の研究」を杏が見つける場面がある。生と死、過去と未来など、異なる物事が二項対立ではなく、異なるままで一つになるという西田哲学を小説化しているところがあった。人称のことを言うと、杏を「私」、瞬を「わたし」と書いている。瞬が扁桃(へんとう)炎になって死を意識し、杏が本を読んでいる場面では、肉体は死んで意識が取り残される状況が示され、死生観が更新された。どこからが杏でどこからが瞬か分からなくなる。最初は少し戸惑ったが、異なるものが共有され一つになる表現に感動した。

 ★茶園 そういう意味では一人称小説を更新したと言える。複数の人物による一人称の語りとも違う。素晴らしい実験だと思う。限りなく一つに合体した形の人体がどのように成り立つのかは、少し疑問にも感じた。でも、文学でこそ書く意味がある作品だった。

 -尾崎世界観さんは2回目の候補入り。音楽業界を扱った。

 ★茶園 「転売ヤー」が音楽ライブのチケットにプレミアを付けて価値を引き上げる世界を舞台に、現実の音楽業界やネット上の言説も交え、社会的な広がりがあった。作品の中で、演者がステージにも立たない、ファンはチケットを買っても会場に行かないという無観客ライブにプレミアが付く。正直、理解できたとは言えないが、より刺激的な言葉に躍らされる人々のありようがよく捉えられていた。カリスマ転売ヤーの「エセケン」のキャラクターが濃くてすごく良かった。無観客ライブが新型コロナウイルス禍に由来する点も興味深い。コロナ後に私たちが歩まなかった道を描き出している。粘り強くテーマにしがみつき、覚悟を持って書いたことが伝わった。

 ★遠山 作者自身がミュージシャンで、音楽業界への皮肉をたっぷりすぎるくらい盛り込んでいて笑えた。作品の世界ではミュージシャンではなく、転売ヤーがカリスマでありアイドル。人工知能(AI)が人間の知性を超えるとされる「シンギュラリティー」のように、作品そのものの価値が消失する逆転現象が起きている。それが行きすぎるとどうなるのか、ばかばかしいことを真面目に語っていて面白かった。粘り強いのは確かにそうだが、プレミアという切り口一辺倒ではないか、とも思った。

 -坂崎かおるさん(顔は非公開)の作品は今回の候補作の中で一番短かった。

 ★遠山 多彩なイメージや音、声、においが混じり合っていた。主人公の久住のファーストネームなど、あえて書いていない部分を読み手の想像力で補うように作られている。久住たちがバスに乗るラストの場面で、乗客の少年が「変なにおいがする」「知ってるにおいだよ」と言う。何のにおいなのかよく分からず、いろいろなパターンを考えた。

 ★茶園 私もその場面は何度も読んだ。直前で久住がウガンダのダンスを踊って汗だくになっている描写があるので、やはり汗のにおいなのかと思った。久住は老人ホームで、ウガンダ出身の後輩清掃員マリアを指導するが、マリアの体臭を嫌とは思っていなかった。においは親近感や懐かしさにもつながる。久住がマリアたちのコミュニティーでの生活を経て、においを発する主体になったと読んだが、もう少し分かりやすくても良いのかなと。久住のこともよく分からない部分があった。あえて書かないことと、読者に気にさせつつ結局分からないこととは違う。日本人の主人公が低賃金の外国人労働者と出会うテーマは重要。予期せぬ妊娠をした女性が、外国人を含めてつらい境遇の人とつながる、櫻木みわさんの「コークスが燃えている」を思い出した。ただ日本に来る外国人が長く居続けることが厳しい現実もある。そのあたりを、よりしっかり書いたら良かった。

 -向坂くじらさんは女性2人の物語。

 ★茶園 時子の中には高校時代の親友朝日の重たい思い出がある。亡くなったと思っていた朝日が軽く目の前に現れ、日常にいる。時子の家族に入り込み、ケアするのがきつくなってくる。時子の抱く朝日像が現実にいる朝日とずれて、それを取り返したい、という展開には納得はいった。

 ★遠山 映像化するならこの作品。最初は幽霊かもしれないと思っていた朝日がどんどん幽霊ではなくなり、逆に時子が幽霊のようになっていく。最後取っ組み合いになるのは、両者が幽霊ではなく生きた人間になる状況だと読んだ。「焼肉屋で出てくるようなひらひらした肉」とか「すぐに落ちる紙飛行機のようなことばかりしか書けなかった」とか、個性的な表現は印象に残った。

 ★茶園 読者を想像して、場面展開とは別に「えっ」と思わせるのは詩人のような感性でもある。時子が高校時代に朝日と交わした日記を、別の語りとして織り込む構造も面白かった。ただ、社会的なテーマには広がらず、やや狭い人間関係の描写に終始したとも感じた。

 -松永K三蔵さんは登山と仕事がテーマ。

 ★遠山 男性的な熱い物語であり、男性的な孤独の表現。人間社会や都市から逃れるために山に行くのはオリジナリティに欠け、新しさは感じなかった。波多と妻鹿の建物修繕会社は大企業の下請けになることを新しい方針とする。その裏で、妻鹿は既存の小さな顧客との仕事を隠れて続けている。同時に妻鹿は、登山でメインのルートを行かない「バリ」(バリエーションルート)を続けており、会社での姿と山での姿が重なる。波多と妻鹿が、人間社会の隙間を縫うように生きる姿を描いたとは言える。

 ★茶園 私も既視感を抱いた。都市の仕事上の苦悩が自然に触れることで解消されるのは、珍しい展開ではない。ただ、場面展開や描写のうまさは光っていた。例えば、会社の経営がどんどん悪くなる状況を説明口調に陥らず、登場人物のセリフや行動を交えて描ききっている。実験はないものの、誰にでもできることではない。

 -受賞予想作は。

 ★遠山 「サンショウウオの四十九日」。これを超える作品はないんじゃないか。

 ★茶園 「サンショウウオの四十九日」と「転の声」がほぼ同等。2作受賞もあり得ると思うが「転の声」は、主人公が率いるバンドの他のメンバーにほとんど触れていない点が気になった。主人公の孤独を表現したいにしても不自然な気がする。若干「サンショウウオの四十九日」が勝っている。

 ★遠山 前回に比べて読み応えのある作品が多く、バリエーションも豊かだった。今回の候補作には、演者と観客、外国人と日本人、会社と労働者のように、分断された状況をどう乗り越えるか、という切り口が共通していた。

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 【とおやま・しょうじ】1984年、熊本県八代市生まれ。映画監督、アートディレクター。主な作品に「あの子の夢を水に流して」など。アートプロジェクトや国際芸術祭も手がける。本紙で「漂流の国のネットショー」を毎月連載。

 【ちゃえん・りか】1983年、福岡県生まれ。宮崎大、宮崎公立大非常勤講師。専門は日本近代文学。九州大大学院比較社会文化学府博士課程単位取得退学。上野英信や森崎和江の著作、戦後文化運動を研究。本紙で「西日本文学展望」を毎月執筆。