なかったことにする力に抗う言葉の「魂込め」。豊永浩平に武田砂鉄が訊く『月ぬ走いや、馬ぬ走い』

AI要約

豊永浩平のデビュー作『月ぬ走いや、馬ぬ走い』は沖縄の歴史に焦点を当て、多彩な人物たちの「語り」が時空を超えて織り成すストーリーを描いている。

文章中の棒線は、歴史や語りを消去する力を表現し、自己のアンビバレントな状態と社会的抑圧を投影している。

権力や個人の側からの情報操作や消去という問題にも触れ、言葉を紡ぎ続ける重要性を訴えている。

なかったことにする力に抗う言葉の「魂込め」。豊永浩平に武田砂鉄が訊く『月ぬ走いや、馬ぬ走い』

21歳の現役大学生、豊永浩平のデビュー作『月ぬ走いや、馬ぬ走い(ちちぬはいや、うんまぬはい)』(講談社)が刊行された。戦争末期から現在まで約80年にわたる沖縄の歴史の中で、時空を超えた多彩な人物たちの「語り」が響きあう本作が目指したものとは?武田砂鉄氏によるロング・インタビューの後編を「群像」2024年8月号から転載してお届けする。

⇒前編【豊永浩平に武田砂鉄が訊く。21歳の新星が歴史からたぐり寄せる「言葉と響き」『月ぬ走いや、馬ぬ走い』】も併せてお読みください。

武田『月ぬ走いや、馬ぬ走い』では、学生運動家を語り手とする場面で、一度書いた文章を棒線で消した状態の文章が続きますね。いろいろな読み方ができると思いますが、自分はいかなる歴史や語りも訂正したり漂白したりできると感じながら読みました。どのような意図があったのでしょうか。

豊永沖縄について学ぶ中で、戦時中には「うちなーぐち」禁止令があり、沖縄の言葉自体をなくしてしまおうという動きがあったことを知りました。軍国教育もそうですが、思想の統制によって、ある考え方が消えてしまう過程もそのままテクストに出せたらいいなと思いました。

それと、この学生運動家の語り手は、かつては自分なりの革命や理想が実現し得ると信じていたものの、それに挫折して、それまでに信じていたものを抹消していくという、アンビバレントな状態に陥っています。外からやってくる嫌な言葉を抹消してしまう自分と、その自分にどう抵抗するのかということを書きたくて、文章の上に棒線を引くという表現を選びました。

武田沖縄だけの問題ではなく、今、世の中で起きているありとあらゆる問題に対して、あったことをなかったことにする力がありますね。それらが消えてしまわないように、どうやって言葉を紡いでいくかは普遍的な課題ですね。少し前にも、水俣病の被害を訴える方たちが話している最中に、そのマイクを環境省側が切ってしまう「マイクオフ事件」がありました。言葉を消そうとする、なかったことにしようとする動きが常にあります。

豊永はい。そうした動きは権力側からだけでなく、自分たちの側からも生じてきていると思います。この間、沖縄戦を指揮して、摩文仁の丘で自決した牛島満司令官の辞世の句が、自衛隊のホームページに掲載されていることが、戦争を美化しているのではないかと沖縄の新聞に批判されていたのですが─。

武田問題になっていましたね。

豊永ネットの反応を見ていると、批判の声を上げることに反対する声がありました。自分の周りの人たちの中にも、地元の新聞は偏向しているから好きじゃないと言う人がいます。今さら昔のことを持ち出してどうするんだと。上から何かを消す圧力がかかるのはもちろんある一方で、逆に自分たちの側から上とつながって消そうとしてしまうことがある。そのことも書かなくてはいけないと思いました。

武田上からだけでなく、下からも消そうとする動きというのは、なぜ出てくるのでしょう。

豊永暴力の負の歴史を自分のこととして受けとめて、それにより生まれる罪悪感を認めて生き続けていくというのは、かなりしんどいことだと思います。だったら、それをやり過ごしてしまえば楽だと思ってしまうのかなと、今は考えています。