豊永浩平に武田砂鉄が訊く。21歳の新星が歴史からたぐり寄せる「言葉と響き」『月ぬ走いや、馬ぬ走い』

AI要約

21歳の現役大学生・豊永浩平が『月ぬ走いや、馬ぬ走い』で群像新人文学賞を受賞し、沖縄の歴史を描いた壮大な物語を創作する過程を語る。

豊永は中学生時代から断片的に小説を書き始め、シーンから物語を紡ぐスタイルに取り組んでいる。

『月ぬ走いや、馬ぬ走い』制作に際し、沖縄戦や戦後のテーマに取り組む中で、自らへの問いかけに応える展開を見出し、小説の中で独自の回答を模索する過程を経て本作を完成させる。

豊永浩平に武田砂鉄が訊く。21歳の新星が歴史からたぐり寄せる「言葉と響き」『月ぬ走いや、馬ぬ走い』

今年の群像新人文学賞を受賞した『月ぬ走いや、馬ぬ走い(ちちぬはいや、うんまぬはい)』(講談社)は、21歳の現役大学生・豊永浩平が、戦争末期から現在まで約80年にわたる沖縄の歴史を全14章で描いた壮大な物語だ。戦時中の日本兵から今の沖縄に生きる若者たちまで、時空を超えた多彩な人物の「語り」で構成される本作は、どのようにして生まれたのか。武田砂鉄氏によるロング・インタビューを「群像」2024年8月号から転載してお届けする。

武田豊永さんは今回、『月ぬ走いや、馬ぬ走い(ちちぬはいや、うんまぬはい)』で群像新人文学賞を受賞されましたが、自分の小説について、選評も含めて、多くの人が言葉にしてくれるというのは、これまでにはなかった経験だと思います。自分の小説に対しての感想を読むのは、どういう感覚でしたか。

豊永選考委員の方々のコメントはとてもありがたかったです。沖縄でずっと小説を書いてきて、出来上がったものを東京に送り、賞を受賞したらたくさんの人から言葉をいただいて、今もまだ地に足が着いていないというか、浮き足立っている感じがあります。

武田小説は、中学生のころから断片的に書かれてきたそうですね。

豊永中学生のころは、小説といっても断片やシーンを書いていくという感じでした。今でもシーンから書き始めることが多いですね。

武田先に物語を作るのではなく、シーンから始めるのはなぜでしょう。

豊永一度、物語を先に作ろうとしてみたのですが、起承転結にあたるそれぞれのシーンは思い浮かぶのに、その間を接続させるものを書く力がなかったんです。それでまずは、一つの物語のいろいろな断片を想像し、文章を漉し取っていくような書き方になりました。

武田書き始めたころから、書きたいシーンだけが次々と出てきたんですか。

豊永そうですね。今回もシーンが先に出てきました。

武田『月ぬ走いや、馬ぬ走い』の場合、出発点はどこにあったのでしょう。

豊永沖縄の近代文学のテーマといえば、沖縄戦と戦後。沖縄で小説を書いていたらどうしてもぶつかる問題だと思うんです。でも戦争を直接体験していない自分は、どうやっても戦中や戦後を生きた人と同じようには書けないので、ほかの人のテクストを取り込むという形でやってみようと思ったのが最初でした。そのとき、過去のテクストがどういう形で現在につながっているのかを考えないと、自分の立ち位置が曖昧になってしまう。というように考えていく中で、全十四章でいろいろな人たちの声で語っていくという今回のコンセプトができたときに、いけるのではないか、と思い立ち、書き始めました。

武田沖縄の戦中戦後を考えるにあたっては、膨大な記録と膨大な創作物があります。その言葉を自分にたぐり寄せるために、何をどこまで知ればいいのか、書く上で難しい判断になったのではないでしょうか。

豊永はい。いろいろな文献にあたりながら、いざ書こうとしたら、自分が沖縄戦を語っていいのか? という葛藤も生じて、いくら読んでも心の中でOKが出せなかったんです。でも、どこかで一区切りつけなくてはいけない。葛藤の中で、戦中戦後の問題に小説の中で応答できる展開やシーンが具体的に思い浮かんだときに、これで一作書けるのではないかと直感しました。

武田それは沖縄が抱える、そして、背負わされる問題に自分が応答できると思ったというよりも、できるだろうか? という自らへの問いかけに応えられると思った、という感じだったのでしょうか?

豊永そうです。今の段階での回答を一つ示して、今後その回答を更新していくのでもいいし、考え直すことになってもいいと考えて、着手しました。