爆弾に背を向けて、私たちは文化の巣穴を掘る。戦時下で交わされるロシア語圏の匿名の会話

AI要約

2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻から約2年半が経過し、未だに戦争が続く現状を紹介。

現地の人々の声を紹介する際、取材が難しい状況や配慮が必要な理由を述べる。

言葉を交わす場所や話し合う場所が模索されつづけている中、自由な言葉を発せにくい空気が漂う現状を表現。

爆弾に背を向けて、私たちは文化の巣穴を掘る。戦時下で交わされるロシア語圏の匿名の会話

ロシア軍がウクライナに侵攻を始め、日本でも大きなニュースとして取り上げられたのが2022年2月24日。そこから約2年半経ったいまでも、攻撃は絶えず、戦争に苦しむ人々は増えつづけています。

「地球上に爆弾を落としていい場所など存在しない。それを確認しあうかのように、私たちは花や作物や夜空の写真を送り続ける。」

ロシア文学者の奈倉有里さんのエッセイ集『文化の脱走兵』の刊行を記念して、本書に収録されている「巣穴の会話」(『群像』2023年11月号掲載)を特別にお届けします。

いまのロシアやウクライナの人の生の声を紹介してほしい、という依頼をテレビや新聞から受けることがある。しかし番組の主旨を聞いていると戸惑うことのほうが多く、たいていは辞退してしまう。

確かに私は現地の友人となるべく連絡をとっている。でも、それはただ少しでも彼らを孤独にさせたくないからであって、なにかを聞きだすためではない。戦争が起きている国の友人たちに、取材を前提に「いまの気持ちを聞かせてほしい」とか「正直な意見を述べてほしい」という言葉はとてもかけられない。

むろん、言葉を発することを仕事とする作家や学者の場合は別だが、その場合でも配慮が必要ないわけではない。ましてやたとえばロシアで徴兵に怯えながらもぎりぎりの抵抗をしている出版社勤めの若者や、最も言論の不自由な職場のひとつである義務教育の教諭になんとか留まっている友達に、日本のテレビに向けて、いったいどんな「自然な」言葉を要求できるだろう。その行為自体が、彼らの傷にもなりかねないのに。心理的な負担という意味でも、実際の身の危険という意味でも。

けれども同時に、ものを言える場所、言葉を交わす場所は、彼ら自身が探し続けている。それを拾うことはできる。たとえばまったくの匿名で、彼ら自身も互いをほとんど知らないところで。

インタビューではなく、「聞きだす」なんてことをせず、ただ耳を澄まして、必要な言葉があれば自分も発言する、そうしていられる空間がほしい。心から「話したい」と思っている人の言葉を聞きたい。以前なら、相手の言葉を聞く気持ちさえ持っていれば、そういう場はいくらでもあった。ペテルブルグを歩いていて「あんた、歩きかたがなってないわよ」と知らないおばあちゃんにつかまり、そこから延々とはじまる長話が好きだった。

いまは、そういう空間になかなか身を投じられなくなった。物理的な距離もあるが、なにかを自由に言ってやろうという空気が閉じ込められてしまった。もともと言いたいことがあった人ほど、そうした空気の変化を敏感に感じとっている。どこへいけばいいのだろう。