アスリートの分岐点! 【桃田賢斗】自分の弱さと向き合い勝利を掴んだ復帰戦!

AI要約

桃田賢斗はバドミントン男子シングルスの世界王者として君臨し、2017年の復帰戦で特別な感情を経験した。

復活を果たした桃田は精神面とフィジカルの面で大きな変化を遂げ、その後も輝かしい記録を刻んできた。

現在は引退後も選手活動を続けながら指導にも力を注ぎ、次の世代にバドミントンの素晴らしさを伝えたいと語っている。

アスリートの分岐点! 【桃田賢斗】自分の弱さと向き合い勝利を掴んだ復帰戦!

バドミントン男子シングルスの世界王者として君臨した時代を経て、今年5月のトマス杯を最後に国際舞台から退いた桃田賢斗。エースとして駆け抜けてきた足跡を振り返り、特別な意味を持つ試合について語ってくれた。

高校3年生でバドミントンのナショナルメンバーに入って以来、日本男子初の快挙を国際大会で成し遂げ続け、レコードブレイカーとして活躍してきた桃田賢斗。緻密なコントロールを武器に相手の動きを誘導し、試合の主導権を握っていくスタイルで、世界選手権での初優勝や世界ランク1位への到達(ともに2018年)、世界最優秀選手の選出(2019年)など、数々の栄光で歴史を塗り替えてきた。そんな絶対王者が分岐点として語ってくれた試合は、2017年5月に開催された“バドミントン日本ランキングサーキット大会”。違法賭博行為で無期限の出場停止処分を受けてから1年半ぶりの復帰戦となったこの大会を桃田は、試合勘を徐々に取り戻しながら勝ち抜き、優勝を飾ってみせた。

「出場停止期間中は、地域貢献活動に取り組みながらバドミントンに対しての考え方や人との接し方など、様々なことをゼロから学び直すような気持ちで過ごしながら、『自分はもう試合には出られないのではないか』という不安を抱いていた時期もありました。そうした時間を経て、もう一度戦うチャンスをいただいた大会で優勝できた。そこにたどりつくまでに自分をサポートしてくれた人たちへの感謝の気持ちをすごく大きなものとして感じたことを含め、僕の選手人生において大きな分岐点になった試合です」

初戦の相手となった和田 周との一戦は、21ー7、21ー8とわずか27分で決着をつけ、余裕があるようにも見えたが、実際は全く違う心境だったという。

「とにかく緊張しっぱなしでした。今までに感じたことがないような複雑な緊張で、点差があっても最後の最後まで余裕がなく、気持ち的にはいっぱいいっぱいだったんです。同時に自分はどう思われているのだろうか、もしかしたら応援してもらえていないのではないかといろいろなことを考えてしまい、自分を出しきれていない感覚がすごくありました」

そうした中で迎えた決勝戦の相手は、2014年のトマス杯で一緒に戦い、日本が史上初の優勝を勝ち取ったときのチームメイトの上田拓馬。お互いに手の内を知りつくした相手と一進一退の攻防を繰り広げ、最後は1点差まで迫られながらも勝ち抜いた桃田。相手のショットがラインアウトとなって勝利が決まると膝からコートに崩れ落ち、涙を流した。

「会場のみなさんからは大きな拍手をいただけて、本当に嬉しかった。同時に優勝した瞬間は、自分が多くの人たちに支えてもらいながらそれまでの状況を乗り越えることができたことを思い出していました。普段、試合で勝っても泣くことはありませんが、あのときは本当に特別な気持ちが込み上げてきてしまい。涙が止まらなくなってしまいました」

復帰戦に向け、精神面もフィジカルの面もそれ以前とは大きく違ったという。

「一試合一試合に対する気持ちや姿勢は、ものすごく変わりました。本当にたくさんの人たちに迷惑をかけてきてしまったので、結果で恩返しをするしかない。勝利に対する貪欲さや勝たなければならない責任感というものはそれまで以上に感じながら、さらに緊張感をもって戦うようになっていきました。フィジカルの面では、謹慎中に苦手なランニングやウエイトトレーニングを積極的にやるようになったので自分の中で一番仕上がっている状態でした。バドミントンを続けられる環境を作ってくれた人や応援してくれる人たちのためにもやりきらなくてはならないと思い、それまで技術だけで勝負してきた自分の弱さと向き合うようになりました。実際、この大会でも技術よりフィジカルで勝負できていたと思います」

この大会で復活を果たした桃田は、2018年9月、日本男子初の世界ランキング1位となり、以降、2021年11月にコロナ禍で世界ランキングが凍結されるまで、3年以上も1位の座を堅持。その後も2019年の全英オープンでの日本男子初の優勝、世界選手権の2連覇を筆頭に、輝かしい記録を打ち立てた後、今年5月のトマス杯で約10年に及ぶ日本代表活動に自ら終止符を打った。今後は選手活動を続けながら国内の大会に出場する一方、指導にも力を注ぎたいという。

「僕自身は感覚的にプレイするタイプの選手ですが、自分が思うようなプレイができなくなってから無意識にやってきたことを言葉で考えるようになり、それが説明できるようになってきました。そういった部分も含め、次の世代の選手たちにバドミントンの楽しさや素晴らしさを伝えられる存在になりたいと思います」