注意されても、酒もタバコもやめなくていい…和田秀樹が「医者の言いなりでは人生を損する」と説く理由

AI要約

悔いのない人生を送るためには、自分でどのように生きるかを決めることが重要である。自己決定を大切にし、尊厳死などの選択肢を考える際にも自分の本音に向き合う姿勢が求められる。

長生きを目指すかどうかの選択も重要であり、尊厳死の考え方や認知症に対する先入観についても検討が必要である。人生後半においても、本人の意識や判断力がない状況下で延命治療を受けることが多い現実についても留意が必要である。

過激な考え方や先入観に囚われず、実際に状況が変わった際の自分の気持ちや考え方を常に見つめ直すことが、悔いのない人生を歩むための一歩となる。

悔いのない人生を送るにはどうすればいいのか。医師の和田秀樹さんは「大切なのは『どのように生きるか』を自分で決めることだ。お酒やタバコをやめるかどうかも、医者の言いなりになるのではなく、自分の本音と向き合って決めたほうがいい」という――。

 ※本稿は、和田秀樹『本当の人生 人生後半は思い通りに生きる』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

■あなたは「長生き」をしたいのか

 私は本当の人生において、大切なのはどのように生きるかの自己決定だと考えています。

 遊んで暮らそうとか、世間に名を残したいと思うとか、賢い人間になりたいとか、素敵なパートナーを見つけて幸せだと思えるように暮らすとか、いろいろな生き方があるでしょう。一つでなくてもいいのですが、選択はしないといけません。

 その中で重要な選択になるのが、とにかく長生きを目指すのか、少しくらい長生きできなくてもいいから好きなように暮らしたいと考えるかの選択です。

 この10年から20年の間に定着した考え方に、尊厳死というものがあります。

 延命治療を求めないという自己決定をして、尊厳のある状態で、自然に近い形で死にたいという考え方なのでしょう。

 ただ、老年医療を長年やってきて、あるいは、医者というものを長年やってきて、死ぬ間際には、本人の意識がないことがほとんどで、いろいろな延命治療はそれほど苦しいものではないし、本人がつらい思いをそんなにするものではないというのが実感です。

■認知症になってからのほうが「死ぬのが怖くなる」

 要するに、尊厳死というのは、周囲から見て、かわいそうな状態だからとか、お金の無駄だから治療をやめようというような形で決められることが実情です。

 もちろん、意識や判断力がしっかりしているときに表明し、終末期にそれを実行してもらうということなのでしょうが、人間というのは、理屈通りでない生き物のようで、よく寝たきりになってまで生きていたくないと言う人がいますが、いざ寝たきりになってみると、もっと生きていたいとか、それでもにこやかに食事を食べる姿などを見ることがあって、やはりなってみないとわからないものだと痛感します。

 あるいは、認知症というのも「認知症になったら安楽死」などと過激なことを言う人もいましたが、私の経験から言わせてもらうと、認知症になってからのほうが死ぬのが怖くなるようです。