禁じられた撮影…B29捉えた新映像をAIでカラー化“日本人が見た”太田大空襲

AI要約

1945年、アメリカ軍による日本への本土空襲が本格化。去年、群馬県で見つかった映像には、当時の日本人が見たリアルな空襲の光景が収められていた。

群馬県の中島飛行機で開発された“連山”攻撃機の初飛行記録も映像に残されていた。そして、B29による太田大空襲の光景も映し出された。

茂木晃さんの証言や映像には、地上から見た空襲のリアルな様子が描かれており、当時の状況を再現している。

禁じられた撮影…B29捉えた新映像をAIでカラー化“日本人が見た”太田大空襲

79年前の1945年は、アメリカ軍による日本への本土空襲が本格化した年です。当時の空襲を撮影した映像が、去年、群馬県で見つかりました。そこには映っていたのは“当時の日本人が見たリアルな空襲の光景”でした。

街に落とされる無数の爆弾。無差別に行われる機銃掃射。戦争末期、空襲は本格化していきました。私たちがこれまで目にしてきた空襲の映像は、アメリカ軍が上空から撮影したものがほとんど。当時、日本の上空を飛ぶ飛行機は軍事機密とされ、撮影は許されていなかったからです。

しかし去年、日本側から撮影された1本の貴重なフィルムが群馬県で見つかりました。収められていたのは、海軍が極秘裏に開発していた航空機の姿でした。

群馬県にあった中島飛行機。その工場で作られていた“幻の攻撃機”『連山』。中島飛行機の写真班が撮影した初飛行の記録でした。約6分半で映像は終わります。しかし、映像には続きがありました。

「B29 群馬地区来襲 昭和20年2月10日」

フィルムの残り1分30秒に映っていた映像。黒い画面の右から左に動くいくつもの小さな白い機影。B29です。世に言う『太田大空襲』。84機ものB29の襲来でした。

空襲を経験した、茂木晃さん(87)。映像を見て当時の光景を思い出しました。

茂木晃さん

「こんな感じですね」

この時、B29は太田市の遥か上空を飛行。地上からは“小さな白い影”として見えていました。

茂木晃さん

「オルガンのいくつかの鍵を一緒に弾いたような、ガンガンガン…。そういう音がだんだん来て。B29が来て本当はおっかないんですよ。だけど『どういうものなんだ』って防空壕から首を出して。怒られながらね、見たんですよ」

当時、太田市の人々が見たリアル。上空からの映像では分からなかった、地上から見た空の光景だったのです。

映像には続きがあります。少し大きく映るのは迎え撃つ日本軍機。そして、落ちていくB29とみられる姿も映っていました。さらに、逃げる人々の姿も残されていました。防空頭巾をかぶり、同じ方向に向かい歩く人々。