《太平洋戦争・終戦79年》終戦前日の空襲「なんと無情な、もう1日早かったら…」昭和100年を前に

AI要約

8月14日、太平洋戦争終戦前日の大阪大空襲で多くの命が奪われた京橋駅空襲についての慰霊祭が79年ぶりに営まれた。

ターゲットは大阪陸軍造兵廠で、米軍のB29爆撃機によって壊滅的な被害を受けた。

参列者は平和への思いを込め、核廃絶を願い、空襲被災者の高齢化や体力的負担で参列者が自粛する事態も。

《太平洋戦争・終戦79年》終戦前日の空襲「なんと無情な、もう1日早かったら…」昭和100年を前に

 太平洋戦争の終戦前日、アメリカ軍による最後の大阪大空襲で多くの命が奪われた「京橋駅空襲」。

 8月14日午前、惨劇から79年を迎え、被災者慰霊祭が大阪市城東区のJR京橋駅南口にある慰霊碑前で営まれた。

 慰霊祭は1955(昭和30)年に始まり、70回目となった。

 1945年(昭和20年)8月14日、米軍のB29爆撃機145機が来襲(第8次大阪大空襲)。

 ターゲットは大阪城の敷地内にあった大阪陸軍造兵廠(大阪砲兵工廠)。6万5000人が動員された東洋一の軍需工場と呼ばれていた。

 B29爆撃機は650発もの爆弾を次々に投下、造兵廠一帯は壊滅的な被害を受けた。その際、1トン爆弾が近くの国鉄京橋駅を直撃し駅舎は吹き飛んだ。

 身元が判明した死者は210人、実際の犠牲者は500人~600人と推定されている。

 参列した人々は、ロシアによるウクライナ軍事侵攻や、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃、台湾有事への懸念、という世界情勢のもと、参列者は平和への思いを誓い、改めて核廃絶を願った。

 終戦から79年が経過し、空襲被災者の高齢化が進む。

 この日の大阪の気温が38~39度と今夏最高と予想され、炎天下での慰霊祭ということもあり、体調を鑑みて参列を自粛した人も多い。開催前から「体力的につらい」と、参列を見送り、当日は自宅で手を合わせたい」という遺族も増えたという。

 慰霊祭世話人会(大阪市旭区)によると、空襲被災者や遺族へ送付した案内状はのべ約400通。来賓を含め約半数の200人が参列した。

 今年(2024年)は、特に70回目の節目ということもあり、世話人会ではオリジナルポスターを作成、奉納された千羽鶴が飛び立つイメージをデザインし、戦争の記憶を未来につなぐ思いを新たにした。

 参列した兵庫県西宮市の男性(79)は、生まれて1か月後に太平洋戦争が終わった。「なんと無情な日なのかと思う。終戦があと1日早ければ、新たな犠牲者は生まれなかったはず。この事実をしっかりと受け継がなければ。来年は終戦80年、昭和100年にあたる。記憶を語り継ぐ人も少なくなっているのだから」と話した。