「やっと会いに来られた」 遺族ら、御巣鷹の尾根へ 日航機墜落39年

AI要約

1985年8月12日、日航123便が墜落し、乗客乗員520人が犠牲となった。39年が経過し、遺族が御巣鷹の尾根で慰霊登山を行った。

事故では修学旅行の教諭、親和女子高校の生徒らも犠牲となった。生存者は4人にとどまり、墓標に語り掛ける人々が故人を思い出した。

墜落原因は修理不十分に端を発し、尻もち事故の経緯も関連している。影響は大きく、多くの人々が未だに事故を悼んでいる。

 乗客乗員520人が犠牲となった日航ジャンボ機墜落事故は、12日で39年を迎えた。

 「やっと会いに来られた」。墜落現場となった「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村、標高約1565メートル)には、朝から遺族らが慰霊登山に訪れ、登山口から険しい山道を上り、坂道に点在する墓標の前で故人を悼んだ。

 事故では、修学旅行の下見の帰りだった親和女子高校(神戸市)の教諭3人も巻き込まれた。この日、教え子だった女性4人が慰霊登山に訪れ、「先生、お久しぶりです」と墓標に語り掛けた。

 事故で夫を亡くした小沢紀美さん(68)が4人を先導。墜落地点に立つ「昇魂之碑」の前で、スマートフォン越しに同校に集まった関係者とビデオ通話した。「この時間につながることで、山に来られない人にも伝えられる」と笑顔を見せた。

 田仲威幸さん(74)=奈良県御所市=は、妹の吉田仁美さん=当時(28)=夫妻と、生後3カ月だった仁美さんの娘を事故で亡くした。墓標に妹が好きだったビールを供え、「家族は元気にやっているよ」と語り掛けた。

 1985年8月12日午後6時56分、お盆の帰省客らを乗せた羽田発大阪行きの日航123便が墜落した。墜落の7年前に同機が起こした尻もち事故の際、米ボーイング社の修理が不十分だったことが事故原因とされる。乗員乗客524人のうち生存者は4人だった。