# 慰霊

高松空襲から79年 慰霊堂で犠牲者の追悼式 遺族の参加者は年々減少「一緒に学んでいけたら」
15時間前

高松空襲から79年 慰霊堂で犠牲者の追悼式 遺族の参加者は年々減少「一緒に学んでいけたら」

 高松空襲から、7月4日で79年です。高松市にある慰霊堂で3日、犠牲者の追悼式が行われました。 高松市の六角堂で開かれた追悼式には、遺族や亀阜小学校の児童ら約150人が出席しました。 1945年7月4日未明、高松市中心部は、アメリカ軍による空襲で約8割が焼け、135

韓国外交部「佐渡金山慰霊施設の建設は日本のアイデア」…日本メディアに反論
2024.07.03

韓国外交部「佐渡金山慰霊施設の建設は日本のアイデア」…日本メディアに反論

韓国政府が新潟県佐渡金山に朝鮮人労働者慰霊施設を設置するよう要求したという日本メディアの報道に対し、韓国外交部が「日本のアイデアの一つ」と否定した。日本政府は日帝強占期朝鮮人強制労役現場である佐渡金山に対して世界遺産登録を推進し、日帝強占期の部分を抜いた16~19世紀中盤に期間を限定して物議を

原爆投下から79年…岡山市で被爆者会の慰霊祭 県内被爆者の平均年齢は86.5歳【岡山】
2024.07.01

原爆投下から79年…岡山市で被爆者会の慰霊祭 県内被爆者の平均年齢は86.5歳【岡山】

広島と長崎に原爆が投下されて2024年8月で79年となります。その原爆で亡くなった人たちを悼む慰霊祭が岡山市で行われました。慰霊祭には岡山県被爆者会のメンバー約30人が集まり、被爆者の霊を慰めようと40秒の黙とうをささげました。このあと廣信靖之会長が慰霊の言葉を述べ

小学校に米軍機墜落「一歩間違えば私も助からなかった」…事故から65年、沖縄県うるま市で慰霊祭
2024.07.01

小学校に米軍機墜落「一歩間違えば私も助からなかった」…事故から65年、沖縄県うるま市で慰霊祭

 沖縄本島中部の旧石川市(現うるま市)の宮森小学校に米軍ジェット機が墜落し、児童や住民計17人が死亡した事故から65年となった30日、同小で慰霊祭が営まれた。遺族や当時の児童、教員らが、犠牲者の冥福を祈った。 同小卒業生らでつくるNPO法人主催。この日は約300人が参列し、校庭内

18人犠牲の米軍ジェット機墜落事故から65年 うるま市・宮森小で慰霊祭
2024.07.01

18人犠牲の米軍ジェット機墜落事故から65年 うるま市・宮森小で慰霊祭

旧石川市の宮森小学校にアメリカ軍のジェット機が墜落した事故から65年となった6月30日、現地で遺族らが出席して慰霊祭が行われました。この慰霊祭は事故の悲惨さを後世に伝える活動に取り組むNPO法人石川・宮森630会と遺族会が開いたもので、遺族や関係者らが出席して犠牲になった児童を奉

「花火は悲劇のたびに立ち上がってきた長岡の象徴」 新潟・長岡の花火大会を高精細度4Kで撮影
2024.07.01

「花火は悲劇のたびに立ち上がってきた長岡の象徴」 新潟・長岡の花火大会を高精細度4Kで撮影

 「一生に一度は行きたい」と言われる新潟県長岡市の花火大会。毎年8月2、3日の2日間で打ち上げられる花火には、空襲や新潟県中越地震など数々の苦難の歴史と「慰霊」「復興」「平和」の想いが込められていた──。2023年の花火を20台を超えるカメラで追った圧巻のドキュメンタリー「長岡大花火 打ち上げ

空を見上げ、にじむ悔しさ 米軍機墜落65年 沖縄・宮森小で慰霊祭
2024.06.30

空を見上げ、にじむ悔しさ 米軍機墜落65年 沖縄・宮森小で慰霊祭

 沖縄が米国統治下にあった1959年6月、沖縄県石川市(現うるま市)の宮森小学校に米軍ジェット機が墜落し、児童ら17人が犠牲になった事故から65年となった30日、同小で慰霊祭が開かれ、遺族や住民ら約300人が参列した。昨年11月に米軍嘉手納基地(同県嘉手納町など)に向かっていたオスプレイが鹿児

花岡事件から79年で慰霊式 日中関係者ら200人参列 秋田・大館
2024.06.30

花岡事件から79年で慰霊式 日中関係者ら200人参列 秋田・大館

 戦時中の1945年、秋田県大館市の花岡鉱山に強制連行された中国人労働者が一斉蜂起し、400人以上が死亡した花岡事件から79年を迎えた6月30日、現場となった大館市花岡町の十瀬野公園墓地で慰霊式があった。遺族2人を含む日中両国関係者ら約200人が参列し、恒久平和の誓いを胸に犠牲者の冥福を祈った

箱館戦争の戦死者を弔う法要、榎本武揚のやしゃご「榎本の思いを150年間つないでくれてありがたい」
2024.06.30

箱館戦争の戦死者を弔う法要、榎本武揚のやしゃご「榎本の思いを150年間つないでくれてありがたい」

 戊辰(ぼしん)戦争(1868~69年)の最後の戦い、箱館戦争の旧幕府軍戦死者を慰霊する碑前祭が25日、函館山麓にある碧血碑(へっけつひ)(北海道函館市谷地頭町)で行われた。150年近く続く法要に、榎本武揚の子孫らを含む約80人が参列。碑前に手を合わせ、激動の時代に身を投じた旧幕府軍人たちをし

米軍機小学校墜落から65年 慰霊祭「悲惨な事故、二度と」 沖縄
2024.06.30

米軍機小学校墜落から65年 慰霊祭「悲惨な事故、二度と」 沖縄

 沖縄県うるま市(旧石川市)で1959年、宮森小学校に米軍戦闘機が墜落し、児童ら18人が死亡、210人が重軽傷を負った事故の発生から65年となった30日、同小で慰霊祭が営まれた。  遺族や事故体験者、在校生ら約300人(主催者発表)が参列。事故発生の午前10時40分

米軍機墜落65年で慰霊祭、沖縄 宮森小、再発懸念の声相次ぐ
2024.06.30

米軍機墜落65年で慰霊祭、沖縄 宮森小、再発懸念の声相次ぐ

 米軍統治下だった1959年、沖縄県石川市(現うるま市)の宮森小に米軍嘉手納基地のジェット戦闘機が墜落し児童ら200人超が死傷した事故から65年となった30日、同小で慰霊祭が開かれた。沖縄には今なお在日米軍専用施設の約7割が集中し、米軍機が上空を飛び交う。参列者からは墜落事故の再発を懸念する声

米軍機墜落事故から65年 犠牲の子どもら18人を追悼
2024.06.30

米軍機墜落事故から65年 犠牲の子どもら18人を追悼

 沖縄県うるま市(旧石川市)宮森小学校近くの住宅地に米軍ジェット機が墜落し、児童ら18人が死亡(うち1人は後遺症による)、200人以上が重軽傷を負った事故から30日で65年。この日、同小で慰霊祭があり、遺族や当時の生徒らが犠牲者を悼んだ。 300人近くが参列し、黙禱(もくとう)を

「二度と事故が起きないよう願う」 宮森小米軍ジェット機墜落65年 遺族らが慰霊祭
2024.06.30

「二度と事故が起きないよう願う」 宮森小米軍ジェット機墜落65年 遺族らが慰霊祭

 1959年に米軍嘉手納基地を離陸したジェット機が石川市(現うるま市石川)の宮森小学校や周辺住宅地に墜落した事故から、6月30日で65年となった。石川・宮森630会と遺族会は、児童らが犠牲となった宮森小学校で慰霊祭を開き、遺族や当時の在校生、地域住民が参加した。 気温が30度を超

花岡事件から79年、犠牲者悼む 秋田・大館、遺族ら黙とう
2024.06.30

花岡事件から79年、犠牲者悼む 秋田・大館、遺族ら黙とう

 秋田県大館市の花岡鉱山で太平洋戦争末期、強制連行された中国人労働者が一斉蜂起し、多数が死亡した花岡事件から30日で79年となった。同市の十瀬野公園墓地では市主催の慰霊式が開かれ、来日した遺族ら約200人が黙とうして犠牲者に祈りをささげた。 中国山東省から来日した周長明さん(67

「子供たちは生きたまま焼かれて死んだ。二度と事故が起こらない沖縄を」 石川・宮森小学校へ米軍機墜落から65年 被災者や遺族ら慰霊祭
2024.06.30

「子供たちは生きたまま焼かれて死んだ。二度と事故が起こらない沖縄を」 石川・宮森小学校へ米軍機墜落から65年 被災者や遺族ら慰霊祭

 【うるま】1959年に石川市(現うるま市石川)の宮森小学校と周辺住宅地に米軍嘉手納基地のジェット戦闘機が墜落し、児童を含む住民計18人が亡くなり、210人が重軽傷を負った事故から65年となった30日、同校で慰霊祭が開かれた。被災者や遺族ら約250人が参列し、犠牲者の冥福を祈った。

「世界中に人たちに知ってほしい」静岡空襲日米合同慰霊祭=静岡市
2024.06.29

「世界中に人たちに知ってほしい」静岡空襲日米合同慰霊祭=静岡市

2024年6月で、静岡空襲から79年です。静岡県静岡市の賤機山では、日米合同の慰霊祭が開かれました。今年で52回目となる慰霊祭は、静岡空襲で犠牲になったおよそ2000人の市民とB29の搭乗員23人を追悼するため、毎年、静岡県静岡市の賤機山山頂で行われています。

米魚雷攻撃で3700人が犠牲…富山丸沈没80年、ひ孫ら県遺族会が冥福祈り、平和誓う 鹿児島市・護国神社
2024.06.29

米魚雷攻撃で3700人が犠牲…富山丸沈没80年、ひ孫ら県遺族会が冥福祈り、平和誓う 鹿児島市・護国神社

 太平洋戦争終盤、鹿児島県徳之島町亀徳沖で米潜水艦から魚雷攻撃を受け約3700人が犠牲になった輸送船「富山丸」の沈没から、29日で80年が経過した。同日、鹿児島県富山丸遺族会の約30人が、鹿児島市の護国神社で犠牲者の冥福を祈った。 富山丸は1944年6月29日、将兵ら約4000人

悲しい記憶 伝え残す  大鹿村で三六災害の慰霊献花式【長野県】
2024.06.29

悲しい記憶 伝え残す 大鹿村で三六災害の慰霊献花式【長野県】

 1961(昭和36)年の「三六災害」で、大西山の崩落により42人が犠牲となった長野県大鹿村で26日、慰霊献花式が開かれた。国土交通省天竜川上流河川事務所が主催。吉田桂治所長や熊谷英俊村長、職員ら12人が参列して犠牲者の冥福を祈り、水害対策への思いを新たにした。 村内では同年6月

「平和なときに戦争は準備される」 80年後のいま…「戦後」は「戦前」になったのか【報道特集】
2024.06.29

「平和なときに戦争は準備される」 80年後のいま…「戦後」は「戦前」になったのか【報道特集】

6月23日は沖縄慰霊の日。沖縄には、今からちょうど80年前に大本営直轄の第32軍が配備され、その後の地上戦に突入していきました。軍の存在は、どう沖縄の社会を変え、人々を戦争に導いていったのか。沖縄のいわゆる「戦前」から80年後の「今」を考えます。■首里城の地下に「第32軍司令部壕

「忘れてはいけない日」 現場で祈る人々 八街児童死傷事故3年
2024.06.28

「忘れてはいけない日」 現場で祈る人々 八街児童死傷事故3年

 千葉県八街市で下校中の児童の列に飲酒運転のトラックが突っ込み、5人が死傷した事故は28日、発生から3年となった。関係者らの思いを代弁するかのような涙雨が降る中、現場の通学路には、花や飲み物を手にした人たちが次々と訪れ、そっと手を合わせて静かに祈りをささげた。【近森歌音、林帆南、合田月美】