20年前、〝中国脅威論〟なき時代 自衛隊幹部、中国空母を「ブリキの空母」と形容   国際舞台駆けた外交官 大江博氏(10)

AI要約

大使として各国に赴任した経験を持つ大江博氏が、外交の舞台裏について語る。

外務省地位協定課での経験を通じて、地位協定の重要性や役割について明かされる。

地位協定班が直面した難しい任務と、その結果について述べられる。

20年前、〝中国脅威論〟なき時代 自衛隊幹部、中国空母を「ブリキの空母」と形容   国際舞台駆けた外交官 大江博氏(10)

公に目にする記者会見の裏で、ときに一歩も譲れぬ駆け引きが繰り広げられる外交の世界。その舞台裏が語られる機会は少ない。ピアニスト、ワイン愛好家として知られ、各国に外交官として赴任した大江博・元駐イタリア大使に異色の外交官人生を振り返ってもらった。

■4年間だけの〝幻の課〟

《1991年、外務省地位協定課で首席事務官を務めた》

在日米軍基地絡みの案件に対応する課です。前任者の宮家邦彦さん(現キヤノングローバル戦略研究所理事・特別顧問)のときに創設され、2代目の私が最後の首席事務官となりました。約4年存在しただけの〝幻の課〟で、冗談交じりに「宮家さんが作り、私が潰した」と言われるゆえんです。

地位協定課は米軍および、米軍基地のある自治体との付き合いが主な仕事。沖縄県や青森県三沢市、神奈川県横須賀市、山口県岩国市などです。彼らとは日頃から密に付き合いました。

■「あの課は暇ではないか」

米軍絡みでさまざまな問題が起きますが、日米関係に支障が出ないよう、米軍と各自治体の間に入って解決にあたりました。「案件を課長以上に上げてはダメ」というのが私たちの〝合言葉〟。その結果、個々の事案が幹部の目に触れることがなく、「あの課は暇ではないか」と思われ、課は廃止され、安保課の中の地位協定班に降格されました。

数年後、「沖縄少女暴行事件」が起き、日本中で大騒ぎになりました。地位協定課が存在していれば、日本政府の対応も違ったはずです。事件発生を受け、当時勤務していた在外公館から急遽、本省に呼び戻され、対応にあたりました。

米兵引き渡しのタイミングを巡り、地位協定改正の必要性が叫ばれてはいましたが、そのようなことをすれば、「パンドラの箱」を開けることになる。地位協定を変えずに容疑者引き渡しを起訴前にできるようにという難しいミッションを与えられました。米側と交渉の結果、日本側が要請した場合、米側の「好意的配慮」で起訴前に容疑者を引き渡すことができるとの日米合同委員会合意で解決を図りました。

地位協定班はその後、地位協定室に格上げされ、さまざまな対応にあたっています。