自分に酔いしれるトークを延々と…「多弁な人」が嫌われる「当然の理由」

AI要約

対人コミュニケーションにおいて、自己中心的な立ち位置から話すことに対するプレッシャーや誤解が、相手との良好な関係構築を阻害することがある。

会話やプレゼンテーションにおいて、相手の価値観やニーズに合わせた内容やアプローチが重要であり、多弁な自己主張よりも相手を意識したコミュニケーションが求められる。

自己中心的な発言や長話は相手に酔狂してしまう印象を与える可能性があり、相手を尊重し、適切なコミュニケーションを心がけることが重要である。

自分に酔いしれるトークを延々と…「多弁な人」が嫌われる「当然の理由」

「会話中にうまいことが言えない」「会話が続かない」「ついしゃべりすぎてしまう」――こういった悩みは、“他人にいい印象を与えよう”とする欲求から生まれてくるのだとか。そんなプレッシャーから解放される方法について、コミュニケーションコンサルタントの吉原珠央氏の著書『シンプルだからうまくいく会話のデザイン』より、内容を一部抜粋してお届けいたします。

年代を問わず、初対面の人や、職場の人間関係の中で「何を話せば良いのかわからない」という悩みを持つ人は珍しくありません。

このような悩みを持つ人には、「(自分が)何を話すか」という、自分中心の立ち位置から、悩んでいるという共通点があるように感じます。

そのような考え方と並行して、対人コミュニケーション(相手が1名以上いる)の場面において、沈黙や、話が途切れる時間を不安に思い、「話し下手」「面白くない人」といった烙印を押されまいかと自分の印象や評価を心配している人も少なくありません。

ですが、ここで一度、考え方の角度を変えてみると、彼ら彼女らにはあたかも常に相手から、面白い話や、ためになる話などを求められているといった、思い込みがあるようにも受け止められます。

しかし実際のところ、「自分が話さねば!」と必死になればなるほど、自分のことばかりを話すこととなり、聞き手はうんざりして疲れ果ててしまいかねません。

たとえ、うんざりとまではいかなくても「そんなに必死にならなくてもいいのに」「話の勢いが激しくて引いてしまう」などと、感じている人もいるはずです。

あなたにも、聞き手、または話し手の立場で、このような経験が一度はあるのではないでしょうか。

ここで、仕事の場面で、自分中心の立ち位置から話すことについて、興味深かったエピソードの顛末を紹介させてください。

何年か前に、クライアントのIさんに頼まれて、Iさんが創業した会社の新たなロゴマークを決定する会議に参加したときのことです。ちなみに、私が参加した理由は、Iさんが大切にしている企業理念、さらには従業員や顧客の方々への思いを知るコンサルタントとして、客観的な意見を述べてほしいというご要望があったからでした。

数社のデザイン会社によるプレゼンを見つつ、私はIさんの会議中の言動にも注意深く観察していくことにしました。

結果的に、あるデザイン会社による案を採用することとなりました。この決定の過程には、デザイン自体はもちろんのこと、どのようなプロセスで導かれたデザインであるかという、デザイナーの説明と言動が大きな影響を与えていたことが明らかでした。

採用されたデザイン会社のデザイナーは、Iさんや、担当者の方々から事前にヒアリングした内容とキーワード、会社の足跡などを的確に引用し、依頼主側の価値観を軸にしながら、礼節を感じさせる言動に一貫したプレゼンを行っていました。

一方で、不採用だったデザイン会社のデザイナーは、同業他社との比較や、時代の流行、デザイナー自身の経歴や、デザインに対する私的なコンセプトなどを延々と語り尽くしていたのです。その中には、依頼主側の価値観に触れるようなキーワードは、ほとんど見当たりませんでした。

そのデザイナーの姿は、クライアントを置き去りにしたまま、どこまでも自分に酔いしれる「多弁な人」としてのみ完璧に映ってしまっていました。

ちなみに、多弁という言葉を、いくつかの国語辞書で調べてみると「よくしゃべること」「言葉数の多いこと。また、そのさま」などという意味が記されています。