プーチン、ようやく戦争に本気で向き合う~これはプリゴジンの遺言だったのか、腐敗一掃、戦時体制整備、そして中国抱き込み

AI要約

ロシアはウクライナとの戦争を前提に様々な体制の再整備を進めており、ショイグ国防相の交代はその代表的な動きである。

2023年6月のプリゴジンの反乱により、ロシア軍内部の対立が露わになり、その後の動きで主流派と反主流派の対立が表面化した。

プリゴジンの反乱はショイグ-ゲラシモフ体制に対するものであり、ロシア軍内の腐敗や汚職問題が明るみに出る中、ロシアは戦線を維持するための主要な役割を果たしたスラヴィキン・ラインに頼って戦い続けた。

プーチン、ようやく戦争に本気で向き合う~これはプリゴジンの遺言だったのか、腐敗一掃、戦時体制整備、そして中国抱き込み

 このウクライナとの戦争は、そう簡単には終わらないということを前提にして、ロシアは様々な体制の再整備に着手した。いくつかあるが、5月12日のショイグ国防相の交代はその代表的な動きだ。

 ロシア軍が持つ問題が、顕在化したのは2023年6月のプリゴジンの反乱だった。あの反乱はロシア国防省内の、ショイグ国防相、ゲラシモフ参謀総長ら主流派と対立していた民間軍事会社「ワグネル」を率いるエヴゲニー・プリゴジンが、セルゲイ・スラヴィキン上級大将らロシア軍内で主流派とは一線を画する勢力の支持を期待して起こしたものだった。

 2022年9月、ウクライナ軍の反転攻勢を受けてロシア軍はハルキウからの撤退を余儀なくされた。その直後の同年10月、ロシア軍総司令官に任命されたのが、それまでロシア軍南部軍管区司令官だったスラヴィキンだった。スラヴィキンはかねてからプリゴジンがその軍人としての能力を絶賛する人物であり、実際、2023年6月から始まったウクライナ軍による再度の反転攻勢をロシア軍が凌ぐ上で決定的な役割を果たした、ウクライナ南部から東部にかけて張り巡らされた地雷原と塹壕からなる防衛線(スラヴィキン・ライン)は、まさに彼の主導で構築されたものだった。

 それにもかかわらず、2023年1月、スラヴィキンは副総司令官へと降格となり、ゲラモシフが参謀総長を兼務する形で後任の参謀総長に任命された。これと相前後して、当時、ウクライナ東部バフムトでの戦いを主導していたのは民間軍事会社「ワグネル」だったにもかかわらず、ロシア軍がワグネル軍への砲弾の供給を制限しているとして、プリゴジンがSNSを駆使してショイグ‐ゲラシモフ体制に対して激しい批判を繰り広げたのは記憶に新しい。

 実際、ショイグ-ゲラシモフ体制には大きな問題があった。その一つは根深い汚職体質である。これまでプーチン政権は莫大な軍事予算を投下したはずだったのだが、ウクライナでの戦争の勃発を受けて、かなりの部分が目的通りに執行されておらず、兵器や軍事施設や近代化が思った通りに進んでいないことが明らかになった。プリゴジンはそんなロシア軍の現体制を激しく批判していた。

 プリゴジンの反乱は、プーチンに対する反乱ではなく、ショイグ-ゲラシモフ体制に対する反乱だった。プリゴジンにとっての「二・二六事件」だった。二・二六事件で青年将校達が体制改革を天皇に訴えたように、国防省の腐敗をプーチンに訴えるための反乱だったのである。これ反乱自体は失敗し、プリゴジンはその後、謎の死を遂げ、あの乱は終息した。しかし、問題の根源はずっと残ったままだった。

 こんな問題の根元が残っているままでも、なぜロシアがここまで戦えたのか。先ほど述べたように反主流派のスラヴィキンが、2023年に南部戦線と東部で構築した防衛ライン「スラヴィキン・ライン」のおかげである。これがウクライナの反転攻勢を防ぐことに大いに役立った。

 だが、スラヴィキン自身はプリゴジンの反乱の後、責任を問われ、軍の主流のポストを離れて、ずっと海外に行っている。アルジェリアにいるのではと言われている。ただ降格ではあるが、軍籍はあり、軍内で何らかの役割は担っているようだ。

 今起きていることは、あのときプリゴジンが訴えてきたことをプーチンの5期目のタイミングで、着手したと言うことだ。3月に大統領選があり、4月にショイグの下の国防次官のイワノフが汚職で逮捕された。そして今回、ショイグ自身が国防相のポストを離れることになった。一応、安全保障会議書記というポストに横すべりしたが、軍のトップとしての立場は失った。その同日にもう一人、軍の幹部が汚職の疑いで捜査されている。明らかに今起きていることというのは、死んだプリゴジンが訴えてきたことを、遅ればせながら実行し、国防省の改革に着手するという言うことなのだと思う。