人気アニメ『ダンジョン飯』を通して考える 伝統的な食事とはいえない「白米とおかず」はなぜ和食の象徴になった?

AI要約

グルメアニメ『ダンジョン飯』を通じて、日本の食とナショナリズムについて考察する研究者の視点を紹介。

作品『ダンジョン飯』が食の伝統や価値観、グルメジャンルに焦点を当て、食にまつわる様々な問いを提起。

食を通じて社会的・文化的なつながりや内外の力学を考えさせる作品であり、食をめぐる真正性や伝統に対する戦いを描く。

人気アニメ『ダンジョン飯』を通して考える 伝統的な食事とはいえない「白米とおかず」はなぜ和食の象徴になった?

私たち日本人が伝統食だと思っている食事は案外、歴史が浅い場合もある。いったい誰が、何のために、特定の食文化を「伝統」に据えるのだろうか? クイーンズランド大学で日本文学を専門とする研究者が、日本の食とナショナリズムについて、グルメアニメ『ダンジョン飯』を足がかりに考察した。

ネットフリックスで配信中の人気アニメ『ダンジョン飯』は、一見すると、奇妙なほど食べ物に取り憑かれたダンジョン探検家を描いたファンタジーだ。

だがよくよく見れば、これは人気の高いジャンルである「グルメ」のパロディであることがわかる。食の伝統とはどのように作られ、どのように守られてきたか。同作はこのことを批判的に考えるきっかけを与えてくれる。

また、食とは非常に政治的なものであり、世界で、なかでも日本に強く見られる「食のナショナリズム」は、人々が思っている以上に複雑であることを教えてくれる。

漫画『ダンジョン飯』は2014年から連載され、その後、日本のアニメ制作会社「トリガー」によってテレビアニメ化された。2024年にネットフリックスで配信が開始されたことで、この青年向けアニメは世界中の視聴者を獲得したのだった。

シリーズはダンジョンを探検する物語でありながら、わかりやすく食事に焦点を当てている。壮大な冒険中も、主人公たちは食事を取らなければならない。つまり、彼らは「ダンジョン飯」を──倒した魔物を食べることを受け入れなければならない。

作中では、日本のコンテンツにおける「グルメ」のジャンルから借用したさまざまな視覚的・物語的表現が使われている。そして、こうしたジャンルの作品(本や映画、テレビ番組、漫画など)は一般的に、食材に関する議論、調理の実演、そして完成した料理の評価に焦点を当てることが多い。

この順序は作品によって異なる。たとえば、ネットフリックスの人気シリーズ『深夜食堂』では、各エピソードの最後にレシピが紹介されている。

『ダンジョン飯』で描かれる食材と調理法は非常に変わっているが、それでも、グルメというジャンルの表現パターンに忠実だ。

登場人物たちはマンドレイクとコウモリ肉のかき揚げを作り、バジリスクの卵のオムレツを作るが、やはり食材について話し合い、食事を準備し、食べながらリアクションをとる。魔物を食べることを最も嫌がっている登場人物でさえ、その味わいに舌鼓を打って目を潤ませることもある。

食に関するタブー(「殺したモンスターは食べるべきなのか」など)や食にまつわる価値観(「食べ物は人と分かち合うべきだ」など)について一貫して明確に語ることで、『ダンジョン飯』は、日頃は表面下に隠れている多くのことに私たちの目を向けさせる。

何を食べることが「自然」なのか? なぜタブーとされる食習慣があるのか? そしてそれを決めるのは誰なのか?

私たちの「食の道」、つまり食の創造と消費に関する文化的・社会的慣習は、コミュニティ、周囲とのつながり、そして「グループの内と外」の力学が形成される場でもある。

食とは常に、真正性、伝統、価値観の戦いの中心にある(希少性や持続可能性の問題は、いまは脇に置く)。日本文学者のトモコ・アオヤマは、著書『食で読む近代日本文学』のなかで次のように述べている。

「一見単純で平凡に見えるものでも、ひとたび私たちがそれに注意を向けると、驚くほど複雑であることが判明する……食は発見され、発明され、分類され、吟味され、また楽しまれ、消費され、貪られてきた」