日本企業は顧客サービスにリソースを割きすぎている…英紙が見た「カスハラ問題」

AI要約

日本のサービス業における「カスタマーハラスメント」が社会問題化している。長年続いた「お客様は神様」という考え方に変化が生じており、客からの侮辱や攻撃的な行動が増加している。

日本政府は労働法改正を通じて、従業員をいきり立った客から守る取り組みを行っている。一方で、「お客様は常に正しい」という規範に、多くの人が疑問を抱き始めている。

日本企業は高水準のサービスを維持するためにコストを負担し、その結果、シュリンクフレーションと呼ばれる状況が生まれている。高いサービスはリソース配分に影響を与えている。

日本企業は顧客サービスにリソースを割きすぎている…英紙が見た「カスハラ問題」

日本で大きな社会問題となる「カスタマーハラスメント」に英紙「フィナンシャル・タイムズ」も注目。労働力不足が慢性化するなか、「お客様は神様」だという営業方針は日本企業にとってもはや「高コスト」だと指摘する。

最近、世界的に有名なある高級ブランドが、各国直営店の状況を調査した。それぞれの地域で客を装った覆面調査員を店舗に送り込み、顧客サービスを評価させたのだ。

すると、前評判はよかったにもかかわらず、日本の直営店の評価は惨憺たるものだった。同社の担当者は、この状況を次のように説明する。

「サービスではなく、覆面調査をしたお客様に問題がありました。我々も日本の店舗のサービスは他国とは比べものにならないほど優れていると考えています。しかし私たちが調査をお願いした日本人のお客様は、他国なら誰も気がつかないようなマイナス点を目ざとく指摘されました」

このエピソードを、うらやましいと思う人は多いのではないだろうか。日本企業は顧客サービスを重視し、「お客様は常に正しい」という考え方に共鳴している。その結果として担保された高水準のサービスによって、客が高い期待値を生む好循環が起きている──この話にネガティブな要素はないように見える。

だが日本でも他国と同じように、「お客様は常に正しい」という考えが揺らぎつつある。

「お客様は常に正しい」というコンセプトには、当初「好みの問題に関しては」という重要な注釈がついていた。だが人々が気難しく、怒りっぽくなるにつれ、この注釈の意味が拡大していった。

日本でいま起こっている変化は注目に値する。「客の神格化」(日本ではあらゆる業種において顧客を「神様」と呼ぶ)という極端な慣習が何十年も続いた後、健全な「無神論」を求める声が高まっているからだ。

ここ数年、「カスタマーハラスメント」という言葉が日本社会に広がりつつある。小売店、外食産業、交通機関、ホテルなど、サービス業に従事する人々に客が投げつける侮辱、脅し、癇癪、攻撃的な言動および肉体的暴力などを表す言葉だ。たとえば、何らかの過失の償いとして、客がスタッフに土下座を要求する状況などを指す。

暴力沙汰も珍しくない他国と比べれば、日本の状況はたいしたことではないと思うかもしれないが、件数の急増に伴い、社会悪として扱われるようになった。日本政府は労働法を改正し、いきり立った客から従業員を守ることを企業に義務付けようとしている。

「お客様は正しくないこともある」という多くの人が解放感を味わえるような概念が法制化されれば、日本社会にとっては画期的なことだろう。

冒頭の高級ブランド店や好循環のエピソードはさておき、客は絶対的に正しいという規範に日本人の誰もが賛同しているわけではない。少子高齢化による労働力不足で、以前と同じレベルのサービスが保てなくなってきている昨今はなおさらそうだろう。

長年のデフレとの苦闘の結果、日本企業はごく些細なミスで客を永久に失いかねないと憂慮し、それが極端な顧客擁護につながった。企業は客の意見を重視するあまり、高水準のサービスを維持するコストを負担してまで値上げを避けた。その結果、日本企業は「シュリンクフレーション(商品の価格は変わらないまま、内容量が縮小していくこと)の先駆者」という不名誉な評判を得た。

シュリンクフレーションは、顧客を尊重していると考えられる一方、彼らを侮っているとも言える対応だ。

だがおそらく、日本の極めて高いサービスがもたらす最大の弊害は、不適切なリソース配分の慢性化だろう。