トランプ氏暗殺未遂、カメラマンはいかにしてその瞬間を捉えたのか

AI要約

トランプ前大統領が演説中に暗殺未遂を経験したカメラマンたちの体験を描いた記事。

カメラマンたちは混乱の中でも冷静に行動し、歴史的な瞬間を記録した。

彼らの経験は、自己防衛よりも仕事に集中していたことに焦点が当たる。

トランプ氏暗殺未遂、カメラマンはいかにしてその瞬間を捉えたのか

(CNN) 始まりは何の変哲もない選挙集会だった――。カメラマンのエバン・ブッチ氏がAP通信向けに幾度となく撮影してきた集会と同じだ。

トランプ前米大統領はペンシルベニア州バトラーの演台に上がって支持者にあいさつし、演説を始めた。

次の瞬間、あたりは大混乱に陥った。

ブッチ氏は13日の暗殺未遂について、「自分の左肩越しに破裂音が数発聞こえた。すぐに銃声だと分かった」と振り返る。「この時、私は演台にレンズを向けていた。大統領警護隊(シークレットサービス)が駆けつけて(トランプ氏に)覆いかぶさるのが見えた。そこから仕事モードになり、一心不乱に自分の仕事を始めた」

集会参加者の多くが避難する中、ブッチ氏ら写真ジャーナリストはとっさに行動に移った。

ブッチ氏はAP通信のワシントン支局チーフフォトグラファー。「あのときは本能だった」「『この写真を撮らないと』という考えしか頭に浮かばない。写真家の職業病だ。戻って再現することは不可能、今この瞬間に撮影しないと、という思いだった」

銃声が響いた時、ブッチ氏は演台の正面に設けられた緩衝エリアにいた。まず頭に浮かんだのは自身の身の安全ではなく、目の前の出来事を記録することだった。カメラのレンズ越しに歴史的瞬間を捉えるチャンスは二度とない。

「どの場所ならトランプ氏の姿を捉えられるか、ベストアングルを探した」とブッチ氏は振り返る。「そして心の中で『OK、トランプ氏はどうやってここから避難するのか。警護官は彼をどこに連れて行くのか。どのような対応を取るのか』と考え始めた。最終的にトランプ氏が立ち上がり、警護官に連れられて演台の裏側に行くことが分かったので、私も急いで裏側に向かった」

ブッチ氏が撮影したのは、シークレットサービスの要員らがトランプ氏を支えながら安全な場所に連れて行く様子だった。

「トランプ氏は立ち上がると、群衆の方を見て、拳を突き上げ始めた」「ビューファインダー越しに横顔の血が見えた。多くの人がシェアしているのはこの瞬間だと思う」(ブッチ氏)

ダグ・ミルズ氏は40年以上にわたり歴代大統領の報道に携わってきた経歴を持つ。だが、米紙ニューヨーク・タイムズのカメラマンを務めるミルズ氏でも、13日のような出来事は経験がなかった。

「あっという間の出来事で、混乱状態だった。とにかく怖かった」とミルズ氏は語る。

撮影前、ミルズ氏は演台の周囲を歩き回って様々なアングルからトランプ氏の姿を確認。そして演壇のすぐ下に陣取ると、上を見上げた。銃声が聞こえたのはその時だった。

ミルズ氏はこの場所から、今回の銃撃で特に有名になった写真の1枚を撮影した。

決定的な瞬間を捉えていたことに気付くのには時間がかかった。

トランプ氏が安全な場所に搬送されてからしばらく経った後、ミルズ氏は自分の撮った写真に目を通し、ニューヨーク・タイムズ紙の編集者の元に送り返した。

トランプ氏に銃弾が命中した瞬間を撮影したことは分かっていた。一連の写真を見れば、トランプ氏が顔をゆがめて右耳に手を当てていることは容易に分かる。

しかし編集者のジェニファー・モスブラッカー氏から、何か別のものも写っていることを知らされた。

「ジェニファーから5分後に電話がかかってきて、『信じられないだろうけど』と告げられた」とミルズ氏は振り返る。「しくじったかと思った。それが最初に思いついたことだった。すると彼女から『頭の後ろの銃弾を捉えた写真がある』と言われた。『何だって』と聞き返すと、彼女は『シャッタースピードが高速だったので、銃弾が写っている』と続けた」

ジェニファー氏によると、FBIの弾道学の専門家はこの写真を見て「100万回に1回」の写真と形容したという。

ブッチ、ミルズ両氏と一緒にいたゲッティイメージズの写真家、アンナ・マニーメーカー氏は最初、銃声を聞いて花火だと思った。

「だが群衆が悲鳴を上げ、騒いでいる人の一部からショックと困惑の表情で伏せるように言われた。現実とは思えなかった」

マニーメーカー氏の息づかいは荒くなり、頭も混乱し始めていたが、それでもシャッターを押し続け、この日の忘れがたい1枚となった写真を撮影した。

「演台の右手側に移動すると、警護官が全員(トランプ氏に)覆いかぶさっているのが見えた。警護官の脚の間からトランプ氏の顔が見えた」「どれだけ深刻な被弾なのか分からなかったので、容体を確認するために写真を撮った。彼の顔を血が伝うのが見えた」(マニーメーカー氏)

ミルズ氏とマニーメーカー氏、ブッチ氏は全員、混乱の中で自分たちの仕事に集中することがいかに重要だったかに言及した。

ブッチ氏は駆け出しの頃にイラクやアフガニスタン情勢を取材した経験があり、戦闘状態の中に身を置いたこともある。経験があったおかげで混乱の中でも落ち着いていられたと話す。ブッチ氏は同僚たちと同じく、基本に集中した。

「ビューファインダーをのぞきながら「『OK、光源は? 構図はどうなっているのか?』と考えた。『ゆっくり、ゆっくり。フレーミングと構図だ』と自分に言い聞かせた。どれも写真家なら自分に言い聞かせることだ」(ブッチ氏)

トランプ氏が撃たれたとき、マニーメーカー氏は息を切らしながら「オーマイゴッド」と連呼した。それでも動きを止めることはなかった。

「とにかく歴史を記録して、写真を撮りたかった」「少し神経質になっていた。自分にどんな成果が出せるのかと。だからシャッターを押し続けた。ののしり言葉を叫びながら『写真を取り続けるんだ』とつぶやいた」(マニーメーカー氏)

ミルズ氏はAP通信で同僚だったロン・エドモンズ氏から学んだことを思い出そうとしていた。エドモンズ氏は1981年、レーガン大統領の暗殺未遂事件を撮影した人物だ。

「レーガン氏が撃たれた写真を撮影した時の状況について、私はいつも彼に聞いていた。ひるまず、目をそらさず、ただ目の前のことに集中する、という答えだった」(ミルズ氏)

翌日わずか2~3時間の睡眠で稼働しながら、ミルズ氏は一呼吸置いてバトラーで体験したことを振り返った。

「怖かった。後から振り返っても恐ろしい。たぶん、自分の身の安全のために最も賢明な選択肢ではなかっただろう。それでも、私は自分の仕事をこなした」

仲間のカメラマンも同じ思いだった。

「すべてに焦点が合っていたこと、自分のすべき仕事をやり遂げたことに満足している」(ブッチ氏)