《単独インタビュー》中上貴晶「ダメ出しもしたが感謝しかない」MotoGP残り8レースのいま振り返るホンダへの思い

AI要約

日本人唯一のMotoGPレギュラーライダーである中上貴晶が、来季からはホンダのテストライダーとして活動することが発表された。

中上は30歳を超えて現役を続けることに焦燥感を覚え、引退を決意。テストライダーとして新たな役割に就くことを選択した。

長いキャリアの中で、中上は最も厳しい時期にホンダを支え、無事に次のステップに進むことができると感じている。

《単独インタビュー》中上貴晶「ダメ出しもしたが感謝しかない」MotoGP残り8レースのいま振り返るホンダへの思い

 唯一の日本人として7年間、最高峰MotoGPクラスを戦ってきた中上貴晶が、今季を最後にレギュラーライダーとしての参戦を終えることが発表された。来季からはホンダのテストライダーとしてマシン開発を担当する。

 8月下旬、第12戦アラゴンGP開幕前日に引退リリースが出されたが、会見はなかった。そこで中上にインタビューの時間を割いてもらった。引退発表があったとは思えない明るい表情の中上に、いまの心境を聞いた。

「リリースにリタイアと書かれているし、確かに形としては引退なんだと思う。でも、正直、引退したという気分はあまりないですね。来年からMotoGPマシンに乗らない、乗れないというわけでもないし、もしかすると、いままで以上に乗る時間が増えるかもしれない。テストライダーとして何をするのか、といった詳細はこれから決めていくことになるけれど、ワイルドカードで出場するチャンスもあると思う。最終戦(バレンシアGP)を迎えたら、なにか感情が湧き上がってくるかもしれないけれど、いまはこれまでと何もかわらないです」

 中上は1992年2月9日生まれ。16歳になった2008年に125cc(現在のMoto3クラス)にイタリアのチームからデビューして2年間参戦。10年と11年はシートを失い全日本に戻って戦ったが、12年からは再びMoto2クラスに参戦し、2勝を含む14回の表彰台に立つ。その活躍が認められ、18年からLCRホンダでMotoGPクラスに参戦してきた。

 これまで通算254戦(MotoGPクラスは115戦)は日本人最多出場を誇り、現在も更新中だ。そのキャリアの中でも、この数年間はもっとも厳しい環境の中でレースを続けてきた。22年からホンダのMotoGPマシンは大低迷期に入った。この年のシーズン中盤のドイツGPでは、MotoGPクラスで長らく最強を誇ってきたホンダ勢がだれひとりポイントを取れないという異常事態が起き、「ホンダのノーポイントは40年ぶり」と大きなニュースになった。

 その低迷期の中で中上は、ホンダ勢がノーポイントに終わりそうなピンチを何度も救い、テレビには映らない舞台裏で大きな貢献をしてきたが、すでに30歳を超えて「いつまでもこんなレースをやっていられない」と焦燥感に包まれていた。そのため今年になってから中上は、何度も「決断の時が来た」と語った。

 そのたび「その決断とは引退のこと? それとも他のカテゴリーで現役を続けていくということ?」と問いかけてきたが、中上は「他のカテゴリーで戦うというプランはない」とキッパリ。となれば、継続できないときは「引退」するのだろうと思っていた。

「テストライダーになると決めたのはオーストリアGPですね。自分の中でいろいろ考えたし、『続けて欲しい』と言ってくれた家族とも相談した。いまの自分はスピードが足りなくてリザルトが悪いわけではない。だからこそホンダも新たな役割をあたえてくれるのだと思って決断した。30歳を過ぎたあたりから次の人生を意識するようになった。タイミングとしてはベストだったと思う。すごいリザルトを残して引退というのではないけれど、やるべきことはやったという思いはある。この数年はホンダが苦戦している時期に重なってしまったけれど、自分に対してはネガティブな部分はないですね」

 苦しい戦いが始まった2年前には、ホンダチームアジアでMoto2クラスを戦う小椋藍のMotoGP昇格とLCRホンダからの参戦計画が浮上した。このときは小椋が「Moto2でチャンピオンを獲るまで」と辞退したことで、中上の参戦継続が決まった。

 1年契約が続いていた中上にとって契約更改の喜びは大きく、周囲にもその喜びはすぐに伝わった。「MotoGPは1年1年が勝負」と語る中上だが、MotoGPクラスはその言葉通りに厳しい世界なのだということを実感させられた。