なぜ「高校生の野球大会」だけが「特別扱い」されるのか…NHKが全試合中継する、日本の夏の「奇妙な風習」

AI要約

高校野球が日本で大きな関心を集める理由について考察する。

全国大会における歴史的な変遷や中継の変化を紹介する。

高校野球の特別扱いについて、その背景や理由について考える。

なぜ「高校生の野球大会」だけが「特別扱い」されるのか…NHKが全試合中継する、日本の夏の「奇妙な風習」

日本の8月は高校野球で明け暮れる。

今年は8月7日に開幕して、23日まで開かれていた。

ずっとNHKが中継している。全試合をほぼ中継している。

今年はずいぶんと見ていた。見終わって、あらためて奇妙な風習だとおもう。

開会式から、閉会式まで、全試合が中継されている。

定時のニュースのときはEテレに移動して中継を続ける。全選手の全打席、おそらく全投球をも中継しきろうという意志が感じられる。

なぜここまでして「高校生の野球」を中継するのか、落ち着いて考えてみると、意味がよくわからない。

全国大会とはいえ、一般高校生の、普通の大会が、そのすべてを日本全国津々浦々に中継されているのだ。どんな競技よりも、どんな大会よりも(たとえばオリンピックの競技中継よりはるかに)大事にされている。

やはり、どう考えても異常である。

なにか、とても大事なものを伝えている、という気配は感じられるが、明確には言葉にされていない。

野球はたしかに我が国では人気の競技である。

ずいぶんと特別扱いされてきたスポーツでもある。

我が国では、野球は職業野球よりもアマチュア野球が人気の時代が長かった。学生野球の歴史は古く、その影響がいまも「高校野球全試合中継」という事態を不思議な世界を呼び込んでいるのだろう。フェンシングや、水球や、ラクロスの高校生大会について、優勝校さえテレビで報道されることがないのに反して、野球は違う。別扱いであり、それは大正時代からそうだった。

ただ、むかしはここまで大規模なものではなかった。

大正時代は「全国中等学校野球大会」と称されて、全国からの参加があったが、そもそも「中等学校」は義務教育ではない。学校数が少なかった。

最初のころは、参加する学校数が全国で100校とか200校とかそれぐらいなので、全国大会は(まだ甲子園球場ができる前は)10校から12校ほどで開かれていた。

やがて開催球場が甲子園となり、全国は22地区に分けられて、甲子園で戦う学校は22校だけであった。

22代表の時代は大正15年(1926)から昭和15年(1940)までである。

一県(府道)で一代表だったのは、東京府、大阪府、兵庫県、北海道の4つ。

残りは奥羽、東北や北関東、南関東など、何県かがあわさってエリア代表が決まっていた。

隣り合わせの府県で「神静」(神奈川と静岡)、「京津」(京都と滋賀)、「紀和」(和歌山と奈良)などの組み合わせもあった。

戦後になって23代表の時代が続き(昭和23年から昭和32年)、そのあと昭和35年(1960)から昭和47年(1972)までは30代表であった。

このころはコンパクトに開催しようとしていた意志が見える。

私が高校野球を見始めたのは1960年代の「30代表」の時代だったので、この時代の割り振りのほうが、すっきりしていたな、といまからだとおもう。ずいぶん昔の話になってしまった。いまとは風景が根本から違っていた。