甲子園決勝戦でも「タイブレーク制は必要なのか」問題…現場の監督たちが語ったホントのトコロ「ムリヤリ“敗者”を作る必要はないのでは?」

AI要約

関東一高と京都国際高による夏の甲子園決勝が史上初のタイブレーク決着となり、SNSで賛否両論の議論が巻き起こる。

甲子園決勝でのタイブレーク導入に関して、監督たちの思いや、過去の試合経験などが示唆される。

記事では、甲子園の決勝に対する理解や期待について、さまざまな視点が示されている。

甲子園決勝戦でも「タイブレーク制は必要なのか」問題…現場の監督たちが語ったホントのトコロ「ムリヤリ“敗者”を作る必要はないのでは?」

 史上初のタイブレーク決着となった関東一(東東京)と京都国際(京都)による夏の甲子園決勝。最終盤まで競り合った白熱のゲーム展開だっただけに、9回を終えてのタイブレーク制にはSNSをはじめとして賛否両論、多くの意見が上がった。では、全国の頂点を決める一戦での新システム導入に、現場の監督たちはどんな思いを抱いたのだろうか? 《全2回の1回目/つづきを読む》

 京都国際高VS関東一高。

 夏の甲子園の決勝戦が、後半になっても、0対0の均衡がなかなか破られない。

 京都国際、先発の3年生左腕・中崎琉生がパワフルな投げっぷりでジャストミートを許さず、関東一高も、緩急でタイミングを外すテクニシャンサウスポーの畠中鉄心から、快速球とチェンジアップで圧倒する坂井遼につないで、互いに一歩も退かない緊迫の攻防が続く。

 ふと、テレビ中継のアナウンサーの声で、

「タイブレークという可能性も出てきました」

 そんな実況が聞こえてきたから、「エエッ」と思った。

 甲子園の決勝戦にも、タイブレークがあるのか? 

 恥ずかしいことに、知らなかった。

 不勉強を恥じた。

 さすがに、甲子園の決勝だけは「延長ではっきり白黒つけるんだろう」。理由もなく、勝手にそう決めつけていた。

 昭和のど真ん中あたりで高校野球に励んでいた者として、「夏の甲子園決勝の延長戦」には、忘れがたい場面がある。

 松山商業VS三沢の延長18回引き分け再試合(1969年)である。数十年経った今でも、繰り返し映像として流される球史に残る「熱闘」であった。

 そうした「下地」があるせいか、甲子園の決勝戦だけは決着がつくまで戦うものだろう、戦ってほしい……みたいな思い込みが生じていたようだ。

「何年か前から、準々決勝の前の日から休養日を挟んで中1日になったじゃないですか、決勝まで」

 現役の指導者の方の中に、同じような思い込みをしていた方がいて、ちょっとホッとした。

「あれだけ休みの日があるんだから、準決ぐらいからタイブレークなしの延長戦かと思っていました!」

 現場には、こうした大ざっぱな「理解」もあるもんだ。

「まあ、ウチあたりは、甲子園の決勝なんてぜんぜん縁がないですからね(笑)」

 甲子園の決勝に、延長戦はいらない。タイブレークもいらない。そんな驚きの発想を持つ指導者の方もいるから、なにごとも、やってみないとわからないし、聞いてみないとわからない。

「私は、夏の甲子園に勝ち上がってきたチームは、立派な<勝者たち>じゃないかと思うんです」

 それは、確かに勝者たちだろう。

「甲子園は、勝者たちの祭典……お祭りでいいんじゃないでしょうか。ムリヤリ、トーナメントをやって、あえて<敗者>を作ることもないでしょう」

 その監督は、そんな風につぶやいた。

「甲子園はお祭りでいい」――その真意は、いったいどこにあるのだろうか? 

<次回へつづく>