宝塚に憧れたハードラーがパリの舞台へ 女子100M障害の田中佑美

AI要約

田中佑美が五輪出場をつかむまでの軌跡。苦労を乗り越え、自己ベスト更新までの成長を経て、パリ五輪への挑戦を誓う。

幼少期のバレエから陸上への転身、実際には宝塚への憧れもあったが、覚悟を固めて陸上に専念。立命大で活躍。

日本女子ハードル界のレベル向上に貢献し、自己ベストを更新。ファッションメディアでモデルにも挑戦し、五輪への強い意欲を示す。

宝塚に憧れたハードラーがパリの舞台へ 女子100M障害の田中佑美

 大舞台への切符をぎりぎりでつかみ取った。6月の日本選手権は2位。五輪出場枠40人中39番手に踏みとどまった。陸上女子100メートル障害の田中佑美(富士通)は「五輪出場は簡単なものじゃないと思った。今は腹をくくっています」。

 大阪府で生まれ、小さい頃はクラシックバレエに打ち込んだ。「ステージに立つことが好きだった」。陸上を始めたのは中学に入ってから。ただ、憧れは宝塚歌劇団だったという。実際、高校総体を制した高校3年の時、宝塚音楽学校の願書を取り寄せている。

 だが、あと一歩が踏み出せなかった。「その程度の気持ちならやめなさい」。振り返れば、両親からのそんな言葉が人生の分岐点だったかもしれない。陸上で上をめざす覚悟を固め、立命大に進んだ。

 日本女子ハードル界のレベルが上がる中にあって、25歳は際だった成長曲線を描いている。昨年4月に自身初の12秒台となる12秒97をマーク。すると、5月には12秒8台をたたき出した。今季も12秒台を連発し、自己ベストは日本歴代2位の12秒85まで伸びた。

 今年はオフを利用して、女性向けファッションメディア「BAILA」でモデルにも挑戦した。「こんな選手もいるんだよと少しでも陸上に興味を持ってもらえたらいいな、と思って引き受けました」

 世界のトップと差があることは自覚している。それでも「五輪に出て終わり、じゃない。39番目からもっと順位を上げるんだという強い気持ちで戦いたい」。

 ステージ上でスポットライトを浴びることを夢見たあの日から十数年。この夏、世界の視線が集まるパリを走る。(辻隆徳)