龍谷大平安・双子の戸田兄弟、夭逝した幼なじみ「孝成さん」に聖地の景色見せる願い叶わず/京都

AI要約

龍谷大平安の戸田兄弟が準決勝で敗れ、甲子園出場を逃すこととなった。

双子の兄弟は幼なじみであり、亡くなった友人に捧げる思いでプレーしていた。

幸介は次なる舞台で友人を喜ばせることを誓い、大学での活躍を目指す。

龍谷大平安・双子の戸田兄弟、夭逝した幼なじみ「孝成さん」に聖地の景色見せる願い叶わず/京都

<ラストカレンダー~夏の終わり~ 龍谷大平安・戸田大介内野手、戸田幸介外野手(いずれも3年)>

 <高校野球京都大会:京都国際11-1龍谷大平安(8回コールド)>◇26日◇準決勝◇わかさスタジアム京都

 龍谷大平安の戸田大介内野手(3年)と双子の弟幸介外野手(3年)は「孝成さん」に聖地の景色を見せたかった。

 高校1年生の8月下旬、幼なじみが野球を離れることになった。明豊(大分)の吉川孝成(こうせい)捕手(当時2年)の鎖骨にファウルチップが直撃。意識を失って倒れ込み、約3カ月後の11月5日に息を引き取った。大介は「自分が甲子園に行ったら、孝成が待ってくれていると信じている」。双子の母未央さん(48)も「2人に何かいいことが起これば孝成のおかげです。打席に入る時は上を見上げていますし、家族みたいな存在です」と力を込めていた。

 戸田兄弟と吉川さんは中学まで大阪で育ち、練習後も頻繁に夜の公園で汗を流した。幸介は「一緒にいて背中で見せてくれる人。野球の面白さを教えてくれた」と感謝する。この夏、大介は背番号4で5試合に先発し、背番号9の幸介は原田英彦監督(64)からの指示をナインに伝え、代打や守備固めでも出場した。帽子のつばには「孝成の分まで」とそろって刻み、出場時は吉川さんの遺品の靴下を履き、打撃用手袋はポケットに忍ばせた。

 結局、甲子園まであと2勝足りなかった。「孝成の分まで甲子園に出たかった。孝成が野球できない分、大学で活躍して喜んでもらいたい」と幸介。次なる舞台で、孝成さんを目いっぱい喜ばせる。【中島麗】