横浜にサヨナラ負けも…武相ナインが見つけた「一生の宝物」 古豪復活へ道を開いた仲宗根主将の1年間

AI要約

武相高校野球部が全国高校野球選手権神奈川大会準決勝で横浜にサヨナラ負けし、夏の大会から姿を消した。

主将の仲宗根琉空が率いるチームは春季大会で42年ぶりの優勝を果たし、夏も14年ぶりの4強に進出し復活を印象づけた。

仲宗根は90人の部員を引っ張り、朝練や練習の徹底によりチームを変える原動力となった。武相ナインが共に戦い、仲宗根を信頼し合った2年3か月は「一生の宝物」と語った。

横浜にサヨナラ負けも…武相ナインが見つけた「一生の宝物」 古豪復活へ道を開いた仲宗根主将の1年間

 第106回全国高校野球選手権の神奈川大会は23日、横浜スタジアムで準決勝を行い、武相は横浜に1-2でサヨナラ負けを喫し姿を消した。1960年代に夏の甲子園に4度出場し、一時代を築くも近年は低迷。それが今年は春季大会を42年ぶりに制し、夏も2010年以来14年ぶりの4強進出で復活を印象づけた。チームをまとめあげたのは、主将の仲宗根琉空内野手(3年)。背中で見せ続け、豊田圭史監督や仲間からも信頼を寄せられた主将は、2年3か月の高校野球を「一生の宝物」と言い切った。

 武相ナインの夏が幕を閉じた。1-1で迎えた9回2死、先発しマウンドを守ってきた八木隼俊(2年)は、中前打と2つの四球で満塁のピンチを背負った。マウンドに集まった内野陣は円陣を組んで意思統一。ただ最後は横浜の「2番・二塁」で先発した奥村凌大(2年)に左前適時打を許し、サヨナラ負けに終わった。

 崩れ落ちて涙する武相ナインの中で、ゆっくりと整列に向かった仲宗根主将。報道陣に囲まれると「サヨナラ負けになってしまったけど、自分たちのやれることは出し切った」とどこか淡々と、言葉をつむいだ。

 90人の部員を背中で引っ張ってきた。新チームが発足した昨秋、県4回戦で桐光学園に延長タイブレークの末に3-4で敗戦。「最後のバッターになってあの1試合、1球は本当に悔しかった」。心と体にずっしり残った疲労感は、仲宗根がチームを変えていく原動力となった。

 夏にいい思いがしたい――。その一心で始めたのが朝練だ。毎朝6時に家を出て、7時から30分間練習。7時半から部員で行う地域清掃の前に汗を流し続けた。主将の姿は、いつしかチーム全体を変えていった。他の部員も朝練に参加するようになり、春季大会以降は、課題だった守備を二遊間を組む広橋大成(3年)と磨き上げた。この夏、再三に渡って流れを引き寄せた好守備は、努力のたまものだった。

 率先して動くのは、中学時代の経験が影響しているのかもしれない。硬式の綾瀬ボーイズ(神奈川)での同学年は9人。少人数の仲間たちと白球を追ってきた。グラウンド整備やコーチャー、ボールボーイなどもみんなで手分けしていた。武相という大所帯のチームで主将となっても、自らがまず行動するのは変わらなかった。「指示を出す人が動いていないと、聞いてもらえることも聞いてもらえない。自分も一緒にやることを心がけている」。ナインにその姿はしっかり届いていた。

 豊田監督は仲宗根を「チームで一番学力も高くて真面目。技術では劣る部分があっても、『自分がやってみせる』という部分でしっかりとしたキャプテン」と評する。ベンチ入りメンバーだけではない。スタンドで応援団長を務めた沼崎吾朗(3年)も「自分たちを背中で引っ張ってくれた」と感謝する。古豪が復活ののろしをあげられたのは、決して手を抜かず、行動し続けた主将がいたからだった。

「雑草の逆襲」を合言葉に、泥臭く戦ってきた。夢であり、目標だった甲子園には届かなかったが「中学校時代には名前の知られていない選手たちの集まりでも、1つのチームになればここまで戦えることを示せたと思う」と仲宗根。そして最高の仲間と過ごした2年3か月は「一生の宝物」と言い切った。神奈川の頂点まであと2つに迫った夏。武相ナインの新たな1ページとなる。