南海トラフ地震の懸念が広まるなか、地震調査委員会が「能登周辺で再び巨大地震の可能性」を警告していた

AI要約

能登半島地震からおよそ7ヶ月経った今、巨大災害の影響が薄れつつある中、南海トラフ地震への警戒が高まっている。遠田晋次教授によると、能登半島地震は日本の地震観測史上最大の内陸地震だった。

災害からの教訓を生かすため、能登半島地震の被災現場を取材し、地震の影響を検証する意義がある。のと里山空港では地震によって起こった影響が色ガラス微粒子の舗装表面に残る形で見られた。

地震の長期影響や災害発生後の対応といったテーマを通して、能登半島地震がもたらした影響について考察を深めていくことが重要である。

南海トラフ地震の懸念が広まるなか、地震調査委員会が「能登周辺で再び巨大地震の可能性」を警告していた

能登半島地震からおよそ7ヶ月。

巨大災害ではいつものことだが、人々の関心は急速に薄れていく。8月8日に宮崎県で震度6度弱の地震が発生、震源が日向灘であったことから、南海トラフ地震への「危険度が高まった」と伝えられ、自治体、企業、鉄道などが約1~2週間の「注意」シフトをとった。こういうことがあると、少し前の巨大災害への関心はいっそう希薄になる。

だが、東北大学災害科学国際研究所の遠田晋次さん(教授)は、「能登半島地震は日本での近代的な地震観測開始以来、最大の内陸(直下型)地震だった」と指摘している。

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「南海トラフ地震への備え」という意味からも、能登半島地震の被災現場で学ぶべきこと、教訓は多々あるはずだ。

そこで、遠田晋次さんによる現地調査、私の能登現地取材記録をコアに、兵庫県南部地震以降、現地入りし取材してきた巨大地震記録などとも比較しながら、能登半島地震をさらに検証していくことにした。

能登空港(愛称・のと里山空港、輪島市・穴水町・能登町)の駐車場に車を止めターミナルビルに入ろうと通路を歩み始めたところ、靴の底にザラザラとした砂のようなものを感じた。砂は、一面に広がっていた。これは何だろう?

のと里山空港は2000m滑走路の一部陥没や段差のため閉鎖。1月11日、仮復旧により自衛隊の救援輸送機のみの発着が可能になったが、民間定期便(全日空が1日1便発着)の運行再開には約1ヶ月を要した(1月27日)。

私は、その、のと里山空港の現状を見ようと立ち寄ったのである(ロビー内には補修工事用の高い足場が組んであった)。

ザラザラした「砂」、それは、微小ガラス片だった。色がついた飲料や調味料などの廃ガラスは有効利用が難しいため年間およそ100万トンが埋め立て処分されている。そのリサイクル利用の試みの一つとして、道路や歩道の舗装用骨材としての利用が始まっている。もちろん、廃色ガラス粒は砂利舗装のようにバラ撒くものではなく舗装材に混ぜて敷設する。その混在廃ガラス粒が舗装材から分離し表面に広がったに違いない。

能登半島地震では、1月1日16時~2月8日08時まで震度7の揺れが1回、震度6弱が2回、震度5強が8回、震度5弱が7回、震度4が46回などを観測。約40日にわたり震度1以上の揺れは、1608回におよんでいる。くり返し続いた大小の揺れが舗装内部のガラス粒の固着を遊離させ、砂を撒いたように浮き上がらせたのだろう(地震データ出典:地震調査研究推進本部、地震調査委員会「令和6年能登半島地震の評価」2024年2月9日)。

強い日差しを受けキラキラと輝く、一面に広がる色ガラス微粒子は、「能登半島地震は、日本での近代的な地震観測開始以来、最大の直下型地震だった」ことを静かに物語っていた。