地球は宇宙の中心ではない…「驚愕の真実」に気づいた科学者たちが、これまで辿ってきた「壮絶な末路」

AI要約

ニコラウス・コペルニクスが地球が宇宙の中心ではなく太陽が中心であると主張し、それに反対した時代背景を示す。

ジョルダーノ・ブルーノがさらに進んで、宇宙には多くの太陽や惑星系が存在すると主張し、その信念が異端として火あぶりの刑に処された状況を紹介する。

科学と宗教の関係が対立するようになった歴史的な出来事を通じて、当時の観念と考え方の違いが浮かび上がる。

地球は宇宙の中心ではない…「驚愕の真実」に気づいた科学者たちが、これまで辿ってきた「壮絶な末路」

古代ギリシャの原子論から、コペルニクスの地動説、ガリレオの望遠鏡、ニュートン力学、ファラデーの力線、アインシュタインの相対性理論まで、この世界のしくみを解き明かす大発見はどのように生まれてきたのか?

親子の対話形式でわかりやすく科学の歴史を描き出した新刊『父が子に語る科学の話』から、偉大な科学者たちの驚くべき発見物語の一端をご紹介しよう。

*本記事は、ヨセフ・アガシ著/立花希一訳『父が子に語る科学の話 親子の対話から生まれた感動の科学入門』(ブルーバックス)をオンライン向けに再編集したものです。

近代科学史においてもっとも重要な人物は、ニコラウス・コペルニクス(1473~1543)だ。かれはポーランドの天文学者で、15~16世紀に生きた人物だ。コペルニクスは、他のすべての人が当然だと思っていることを批判した最初の人であった。

ほとんどの人は、地球が宇宙の中心だと信じていた。この考えは、古代ギリシャの哲学者アリストテレス(紀元前384~紀元前322)の書いた本に現れ、それ以来ずっと信じ込まれてきた。

人々は、宇宙全体が地球のまわりを回っており、人間は地球に住んでいるのだから、人間こそが宇宙の中心であると考えた。人間が宇宙の中心に位置することが、人間をとても重要なものにしたのだ。

当時、ほとんどの学者、教師、教会人が、人間は宇宙において尊厳ある地位を占めているが、それは神が人間のために宇宙を創造したからだ、と信じていた。だから、地球中心説は、宗教にとって、とても重要なものだった。

コペルニクスが、地球は宇宙の中心にはないと主張したとき、多くの人がコペルニクスの新しい考えに反対した。コペルニクスは、地球ではなく太陽が宇宙の中心にあると述べたからだ。

そのおよそ25年後、ジョルダーノ・ブルーノ(1548~1600)というイタリア人の修道士は、よりいっそう過激な意見を述べた。ブルーノは、宇宙の中心は地球でも太陽でもなく、宇宙全体には途方もなくたくさんの太陽や惑星系があると信じた。かれの天文学上の理論はかれの宗教と矛盾したので、かれは修道士としての生活を辞め、その新しい考えを説く教師となった。

いまのわれわれは意見の不一致を当然のことだと思っているが、ブルーノの時代はそうではなかった。カトリック教会の異端審問所は、ブルーノに対して教会の考えを信じなければならないことを懸命に説得しようとしたが、かれはそれを拒絶し、1600年、異端者として火あぶりの刑に処せられた。

それはとてもむごいものだった。そのときから人々は、宗教と科学は対立するものだと考え始めた。科学はますます宗教との関係を絶っていった。当時のカトリック教会は新しいアイデアを嫌ったからだ。宗教は、人間が宇宙の中心で、とても重要なものだと教えていた。