松浦武四郎「当時は知名度ほぼなし」 記念館30周年で元職員ら講演 三重・松阪

AI要約

三重県松阪市小野江町の松浦武四郎記念館が開館30周年を迎え、記念トークイベントを開催。

建設の経緯や地元への貢献について語られる。

今後の発展に期待が寄せられる。

施設の建設や武四郎への理解を深めるための取り組みが紹介される。

記念館の役割や今後の展望が議論される。

地元との連携が重要視される。

記念館建設の経緯や課題、地域の関わりについて詳細に説明される。

地元住民の協力や理解が施設の成長に貢献していることが示される。

今後の発展に向けた提言や期待が述べられる。

松浦武四郎「当時は知名度ほぼなし」 記念館30周年で元職員ら講演 三重・松阪

 今月3日に開館30周年を迎えた三重県松阪市小野江町の松浦武四郎記念館(山本命館長)は14日午前10時から、同館で記念トークイベント「記念館ができるまで」を開いた。建設に関わった2人が登壇し、当時の経緯とともに今後さらに地元に根付いた施設になることを期待した。

 同記念館は1994(平成6)年7月3日、旧三雲町時代に地元の小野江公民館を併設として開館。今回のイベントは記念館への理解を深めることを目的に、整備の経緯とともに30年間の〝進化〟や、今後何を目指すべきかを探ろうと9月まで、出演者を変えて全3回開く。

 第一弾となったこの日は約40人が参加し、建設当時の三雲町役場職員・北川雅樹さん(70)=中ノ庄町=と、元福井大学教授で同記念館運営審議会顧問・宇野文男さん(75)=市場庄町=を迎えて開かれた。2人は「北海道」の名付け親・武四郎の没後100年に当たる1988(昭和63)年に国の補助を受けて小野江松浦家の史料調査が始まったと紹介。当時は武四郎を知る人はほとんどいなかったなどと振り返った。

 そして関連資料は92(平成4)年に県指定有形文化財に指定され、三雲町は武四郎の顕彰とともに資料を保存、展示するための記念館建設を決定。2年後の94(平成6)年7月、公民館機能を併せ持つ施設として同記念館(小野江地区コミュニティセンター)が完成した。

 また建設に際し、公的資金で私人の宝物館を建設するようなものと疑問視する声が無かったわけではないとも明かした。北川さんは2008(同20)年5月に地元住民らで、同記念館の活動に協力し支援するグループ・松浦武四郎記念館友の会(飯田秀顧問、田中恆会長、129人)が発足したことを挙げ「生涯教育の場として記念館を活用して武四郎について学ぶことでその人が世に知られ、住民の理解を得ていったと思う」とした。

 北川さんと宇野さんは「記念館に関わるたび武四郎さんがどんどん好きになっていった。地元の人が関わることは最も重要。今後も記念館が皆さんの理解を得て、地域に根付いた施設として成長していってもらえれば」「行政と地元の方々と記念館の三者で運営する施設は全国的に見ても珍しい。さらに若い世代が盛り上げてくだされば」などと述べ、締めくくった。

 山本館長は「皆さんの努力と協力の上に建った施設だったことが分かる。そうしたご苦労を忘れてはならない」とした。