【戦後79年】次世代へ伝える非戦の思い、平和の尊さ

AI要約

終戦から79年が経ち、戦争体験者の高齢化や世界各地の紛争が続く中で、平和と反戦の重要性が再確認されている。

戦争を体験した人々の思いや、戦没者の家族の苦悩、次世代への平和への願いが語られている。

若者たちも戦争に直面し、戦没者を追悼する機会を通じて平和への思いを育んでいる。

【戦後79年】次世代へ伝える非戦の思い、平和の尊さ

 終戦から15日で79年を迎える。戦争体験者の高齢化が進み、記憶の伝承が難しくなる一方、ロシアによるウクライナ侵攻や中東情勢など世界各地で争いは続き、戦争の悲惨さと、平和の尊さを次世代につなぐ重要性は増している。戦時下を生きた人、非戦の思いを受け継ぐ人らが思いを語った。

 父与一さんは1943年、安斎さんが5歳の時に召集された。安斎さんに父の記憶は残っていない。ただ、出征の際に福島駅で、幼かった安斎さんが列車に乗ろうとする父を「父ちゃん」と呼び、追おうとして周囲に引き留められたことは成長してから母に聞いた。与一さんは同年、中国でマラリアのため戦病死した。29歳だった。

 敗戦後、あがめられる存在だった兵隊は「悪者」として見られるようになったと感じている。「おまえたちのおやじのせいで、こうなった」。戦死した親を持つ子どもたちはそんな視線の中、少し身を縮めるようにして生きたように思う。

 ただ「私よりつらい思いをしたのは、おふくろだった」。25歳で夫を亡くした母キチさんは、安斎さんと四つ年下の弟を育てながら働いた。

 キチさんが与一さんのことを安斎さんに話すようになったのは、安斎さんが大人になってからだったという。地域の青年団長を務めたり、チェロなど楽器の才能があったりしたことなど「父ちゃんはすごかったんだぞ」という話を聞き、安斎さんは父に思いをはせた。

 子どもが生まれると、出征当時の父の気持ちを想像し「かわいい子を置いて死に赴く気持ちは、かなり厳しかったのではないか。つらかっただろう」と胸を締め付けられた。

 ウクライナや中東の情勢などを見ていると「戦争で被害を受けるのはやはり一般の人だ」との思いは募る。「戦争を起こしてはならない。『絶対』はないかもしれないが、最後の最後まで戦争は避けなければならない」。平和と反戦の意思を追悼式でささげる。

 郡山市の先崎天翔(つばさ)さん(17)=郡山学院高等専修学校2年=は全国戦没者追悼式で青少年代表として献花する。

 先崎さんとしては戦争に正面から向き合う初めての機会。「戦争のない国に生まれて良かった」との思いを胸に、式に臨む。

 中国で戦死した曽祖父の兄泰寿(たいじ)さん=享年(22)=は先崎さんにとって、ある意味「身近な存在」だ。幼い頃から遺影を見てきて、今は遺影のある部屋で寝るため毎日対面する。

 祖母尚子さん(69)の誘いで追悼式へ参加することになり、泰寿さんが戦死した経緯に触れた。「勇敢だったんだろうけれど、自分だったら死にたくはない。どうしたら戦争はなくなるのだろう」。平和について考える夏になる。