熱くて息苦しすぎる…10分しか我慢できなかった「硫黄島の地下壕」の知られざる実態

AI要約

日本兵1万人が消えた理由や硫黄島で起きた出来事について徹底調査を行ったノンフィクションが話題となっている。

壕内での作業について詳細に描かれ、冷風装置の中での過酷な状況や役割分担、地震や生き埋めの恐怖などが伝えられている。

作業終了後、青空の下での一息をつく主人公が、戦没者慰霊碑に思いを馳せる場面で物語は結末を迎える。

熱くて息苦しすぎる…10分しか我慢できなかった「硫黄島の地下壕」の知られざる実態

なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。

民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が11刷決定と話題だ。

ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。

壕の通路は高さ約150センチ。僕の身長は179センチ。立ち上がれる高さではない。前屈みになって慎重に歩く。幅は1メートルほどしかない。そこに太さ50センチほどの冷風装置の管が通っている。すれ違うことはできない。5人は入った順番のまま、30分間、作業をしなくてはならなかった。

管は数メートルごとに穴があり、そこからマイナス4度の冷風が噴き出した。その穴付近は確かに涼しい。しかし、そこを離れると、たまらない熱さだ。冷風装置のためか砂ぼこりもひどい。肺にも悪そうだ。まるで炭鉱作業員になったようだ。

5人の役割分担はこうだった。5人のうち、後から入った二人がシャベルで土を掘る。当時の壕底が出るまで掘り続ける。掘った土は箕に入れる。箕は残りの3人がバケツリレー方式で、入り口とは反対方向に運ぶ。つまり、土を掘る場所から奥はすでに調査が終わっているため、奥側に土を捨てても構わないという判断だった。

5人のうち真ん中にいる僕は、土を掘る二人に空の箕を渡し、それに土が盛られて返ってくると、それをバケツリレーの一人目に渡した。それを30分間繰り返した。どうか僕が壕の中にいる30分間、地震が起きたりして崩れませんように。生き埋めになりませんように。そう願いながら。

僕の頭の中に常にあったのは、2010年8月にチリのコピアポ鉱山で起きた事故だ。落盤によって作業員33人が69日間、閉じ込められた。このニュースを知った時、僕は大きな恐怖を感じた。作業中、考えないようにしても、頭から離れなかった。

それにしても熱い。そして息苦しい。作業は両膝と片手を壕底に付けた姿勢で続けた。壕底の地熱を我慢できたのは最初の10分だけだった。次第に手や膝に痛みを感じるようになった。低温やけどをしているのではないかと思い、膝と手をこまめに壕底から離すようにした。

そして30分が経過した。一人が、地上に戻ろうという合図をした。そして僕たちは再び滑り台のような角度の坂道を転落しないように慎重に登り、立て坑のはしごを登り、地上に出た。

ばたりと滑走路に倒れ込むと、視界いっぱいに青空が広がった。息を整えた後、冷えたポカリスエットをごくごくと飲んだ。そして、僕は思い出した。旧厚生省が戦後、島内に建立した戦没者慰霊碑のことを。その慰霊碑は、碑の上部だけ天井が開いた造りになっている。それには意味があった。暗い地下壕内で日の光に憧れ、飲料の雨水を求めながら死んでいった兵士らの心を表しているのだ。

僕は今、彼らが渇望した青空の下、渇ききった喉を存分に潤していた。先ほど出てきたばかりの立て坑を振り返った。この程度の作業ではもう二度と「つらい」「しんどい」と口にしないと誓った。