日本一の綿羊の村(8月14日)

AI要約

古里の味を楽しむお盆の風習、ジンギスカンで家族が楽しむ様子。過去から現在までの繁殖の歴史と羊毛の重要性、そして昔ながらの味を楽しむ人々の姿。

久しぶりに顔をそろえた家族が庭で羊の肉を食べる風景や、昔は羊毛を防寒着作りに使用し、軍供出頭数が全国1位になるなどの歴史。現在、羊毛の需要が減少し、町内での飼育も限られている状況。

子どもたちが綿羊の村の歴史を学び、紙芝居が作られて配布される。ジンギスカンの味には古里の豊かさと歴史がにじんでおり、外国産に負けずに根付いている。

 お盆で帰省し、古里の味を楽しんでいる人も多いだろう。ジンギスカンでもてなす風習が古殿町にある。この時期、久しぶりに顔をそろえた家族が庭で鍋を囲み、秘伝のたれで羊の肉を味わう姿が見られる▼合併前の旧宮本村に1927(昭和2)年、北海道から綿羊20頭が運ばれた。飼育組合が繁殖に努め、多くの家で育てられるようになる。羊毛は陸軍の防寒着などを作る製絨所[せいじゅうしょ]に納められた。太平洋戦争が始まった1941年、軍供出頭数が1008頭と全国1位を達成し、不況にあえぐ農村を潤したと伝わる▼戦後の衣料不足の中、羊毛は洋服の素材として重宝された。村内で2千頭が飼われ、肉は食用に。人が集うと振る舞われ、周辺町村にも羊を食べる文化が広がった。化学繊維に押され、羊毛の需要は減り、今や町内で1軒が飼育するのみとなった。その歴史を知る世代も限られてしまった▼「日本一の綿羊の村」を後世に伝えようと、紙芝居が作られた。古殿小の子どもが絵を描き、本にして今春、児童に配られた。授業でも羊の飼育を見学した。ジンギスカンの肉は外国産が主流に。だが、その味は歴史の深みを蓄え、かむほどに古里の豊かさがにじむ。<2024・8・14>