「少しでも記憶にとどめて」 対馬丸慰霊碑前で子どもらに講話 宇検村の川渕さん

AI要約

鹿児島県宇検村船越海岸で、県立奄美少年自然の家主催の宿泊学習で慰霊碑前で講話が行われた。

講話では学童疎開船「対馬丸」の事件について語られ、戦争を絶対にしてはいけないと平和への呼び掛けがあった。

学童たちは史実に触れ、対馬丸に興味を持ち、心に残る体験をしたと述べた。

「少しでも記憶にとどめて」 対馬丸慰霊碑前で子どもらに講話 宇検村の川渕さん

 鹿児島県宇検村船越(ふのし)海岸の対馬丸慰霊碑前で3日、同村文化財保護審議会会長の川渕哲二さん(77)による講話があった。2日から6日まで同村や奄美市で行っている県立奄美少年自然の家主催の宿泊学習「奄美クリエイティブワイルドアドベンチャー」の一環。県内外の小学~高校生30人が悪石島沖で米潜水艦に撃沈された学童疎開船「対馬丸」の事件について学んだ。

 川渕さんは宇検集落の元区長で、慰霊碑建立を請願した一人。当時、住民が懸命な救護活動を行ったことや遺体は沖縄の慣習にならい合葬せず一体一体埋葬したこと、6日間漂流した人たちが尿で喉の渇きをしのぎ生き抜いたことを語り「このことを少しでも記憶の中にとどめてもらえたら。戦争は絶対にしてはいけない。平和な日本を引き継いでほしい」と呼び掛けた。

 龍郷町立赤徳小学校5年の男子児童は「初めて聞くことがたくさんあり対馬丸を知ることができてよかった」、天城町立岡前小学校6年の女子児童は「詳しい人から話を聞いて心に残った。対馬丸に興味を持った」、埼玉県秩父市立尾田蒔小学5年の男子児童は「詳しく知ることができてよかった」とそれぞれ語った。

 沖縄からの学童、一般疎開者を乗せ長崎に向かっていた対馬丸は1944年8月22日、米潜水艦の魚雷を受け悪石島沖で沈没。約1500人が犠牲になった。同村や大和村などに多くの犠牲者とわずかな生存者が漂着し、遺族団による収骨で100柱以上がふるさと沖縄へ帰ったとの記録が残る。船越海岸には2017年に慰霊碑が建てられている。24日には毎年8月に行っている慰霊祭がある。