1488人犠牲の長岡空襲から79年 平和祈念式典で遺族「罪のない人たちが命を失う。これほどむごいことはない」【新潟】
1945年8月1日夜、米軍の爆撃機125機が長岡市上空に飛来し市街地を爆撃。犠牲者1488人、市街地約8割が焼失。
平和祈念式典では遺族や市民約780人が参列し、犠牲者への黙祷、献花が行われた。池田ミヤ子さん(91)が空襲の記憶と戦争への怒りを語った。
中学生代表が平和への誓いを述べ、慰霊祭や灯籠流しも行われた。
長岡空襲から79年となった1日、長岡市のアオーレ長岡で平和祈念式典が開かれました。
第2次世界大戦末期の1945年8月1日夜、米軍の爆撃機125機が長岡市上空に飛来し市街地を爆撃しました。翌2日未明までに925トンの焼夷弾などが投下され市街地の約8割が焼失、1488人が犠牲になりました。今年の式典には遺族や小中学生など約780人が参列。犠牲者への黙祷と献花に続き、空襲で姉を亡くした池田ミヤ子さん(91)が当時の記憶と戦争への怒りを語りました。
■池田ミヤ子さん(91)
「上空でB29の編隊からバタバタと焼夷弾が落ちてくるのが見えた。罪のない人たちが命を失ってしまう、これほどむごいことはない」
続いて市内の中学生代表が「戦争を遠いことだと思わず目を背けないことで、平和の砦を心のうちに築くことができるのではないかと考える」と平和への誓いを述べました。
また平和祈念式典に先立ち、周辺で多くの犠牲者が出た平潟神社で午前6時から戦災殉難者慰霊祭が行われ、約100人の市民が参列し慰霊塔の前で黙祷を捧げました。1日夕方には市内の柿川で灯籠流しが行われ、空襲が始まった午後10時30分に戦争犠牲者を追悼する花火「白菊」3発が信濃川河川敷で打ち上げられます。