「本当に『時間がない』と叫び続けたい」母と会えず46年 曽我ひとみさんが語る大好きな母への感謝と一刻も早い解決への願い
曽我ひとみさんが北朝鮮に拉致され、帰国した際に母への思いを語っている。
1977年に書いた作文から、母への感謝の言葉が伝わってくる。
母との関係をとても大切にしている曽我ひとみさんの胸の内が明かされている。
新潟県佐渡市で北朝鮮に拉致され、2002年に帰国した曽我ひとみさん(65)。
今から46年前の1978年、ともに北朝鮮に拉致され、今も行方がわかっていない母・ミヨシさん(92)への想いを語り、「本当に『時間がない』というのをこれまで以上に叫び続けたいと思っている」と胸の内を明かしました。
■拉致される前年にしたためた“親孝行”
曽我さんは去年、恩師の家で長年大切に保管されていた作文を受け取りました。
手にした作文のタイトルは『母』。原稿用紙7枚にわたって、ミヨシさんへの思いがつづられていました。
作文は2人が拉致される前の年、1977年に曽我さんが定時制高校の夜間部に通っていた3年生のころに書いたものです。
作文から抜粋
「『親孝行したいときは、親はなし』という言葉があると思います」
「母の優しい思いやりの心は誰よりも私が一番よく知っています。人が困っていればすぐに行って世話をします。働き者の母、涙もろい母、ドジな母、私はこんな母が誰よりも大好きです」
■作文を目にする前に、娘とともに北朝鮮に拉致された母
夜間高校に通いながら、1977年に准看護師として病院で働き始めた曽我さん。
作文には娘を育てるため、朝から晩まで働いていた母・ミヨシさんへの感謝の言葉があふれています。
作文から抜粋
「こんな私をここまで育ててくれたことを心から感謝しています」
「これからも今まで以上に心配をかけるかもしれません。それでも許してください。これからも体に十分気を付けて、長生きしてください。素直な心をいつまでも持ち続けたいと思っています。今、『母ちゃん、ありがとう』と心から思っています」
ミヨシさんはこの作文を目にすることなく拉致され、今年12月に93歳になります。
曽我さんは、ミヨシさんとの関係をこう語りました。
「親子なんですけども、友達みたいにすごくどんなことでも言い合える…本当に仲がよかったんです。小さな頃にはいろいろな失敗もしたんですけど、でもやはり、そのことがあったからこそ、ぐっと近づいてなんでも話し合える、隠し事がない、そんな仲のいい親子になれたのかなって思っています」