金魚の伝統を次世代へ 「丸いリュウキンで人気」東京・江戸川区の堀口英明さん

AI要約

江戸川区は金魚の日本三大産地の一つであり、金魚の養殖文化と伝統を次世代に伝えるために活動している堀口英明さんに焦点を当てる。

堀口さんは幼少時から金魚の養殖を手伝い、60年以上の経験を持つ。金魚の選別など重要な工程を丁寧かつ迅速に行ってきた。

金魚養殖業者数の減少や後継者不足という課題にも直面しながら、堀口さんは金魚文化の振興のために普及活動を続けており、地域のイベントや学校訪問など様々な取り組みを通して金魚文化を継承しようとしている。

金魚の伝統を次世代へ 「丸いリュウキンで人気」東京・江戸川区の堀口英明さん

金魚の日本三大産地として知られる江戸川区。養殖業者数の減少は著しいが、堀口養魚場の堀口英明さん(73)はその文化と伝統を次世代につなぐため、普及活動に取り組んでいる。「東京の金魚の養殖はこうやるんですよ、というのを残せればいい」。60年以上金魚に携わり続ける職人はそう力を込める。

■幼少から手伝い

小学生の頃から、家業の金魚養殖を手伝っていた。学校から帰ると網を持って川に行き、弟と一緒に餌となるミジンコを捕った。養殖で重要な工程である選別も小さな頃からこなした。形や色の付き方を見ながら、無数の金魚をえり分けていく。「選別なんて幼稚園の子でもできる」と謙遜するが、大事なのはそのスピードだという。「何万匹もいるんだから、たったたったとやらないと日が暮れてしまう」。ぐるぐると回りながら泳ぐ金魚を目で追いかけず、淡々と網ですくったという。

そもそも同区で金魚養殖が盛んになったのは、大正12(1923)年が契機だった。同区のホームページなどによると、同年の関東大震災以降、江東区などが工業化するのに伴い、比較的土地が安価で水が豊富な江戸川区に都内の金魚業者が集まった。しかし、先の大戦や戦後の急激な都市化のあおりを受けて地価は高騰し、水質は悪化。戦前の最盛期には養殖業者は23軒あったが、徐々に数を減らし、現在は稚魚から育てる業者はいない。

■後継者少なく

堀口養魚場といえば堀口さんが育て上げる「堀口リュウキン」が知られる。肩の部分が盛り上がり、丸みのあるフォルムはマニアの間でも人気となった。数年前まで堀口さんも金魚の生産を行っていたが、養殖池の中に入るだけでも重労働だ。現在は足のけがのため、金魚の養殖自体はしていない。堀口さんが最も危惧するのは後継者の問題。「農業もそうだけど、継いでくれる人がなかなか…」と嘆く。

それでも金魚文化の振興を図るべく、普及活動を続けている。7月に行われた、自身が実行委員長を務める金魚まつりは、約4万2000人の来場者を集めた。金魚すくいや即売会に家族連れなどが多く押し寄せ、大盛況となった。また、区内の小学校の社会科見学も受け入れ、養魚場の文化や歴史を子供たちに伝えるなど、発信を続ける。

近年はなかなか思うように金魚の生産、販売を行うことはできなかったが、堀口さんは「来年からはこの文化を残せるように、やり方を変えようかな」と現役復帰へ意欲を示す。「体が動かなきゃしようがないんだけど、まだ私自身が動けるうちに教えられるところは教えていきたい」と力強く語った。(山本玲)