【闘病】お腹が痛む原因は「濾胞性リンパ腫」… ステージ4まで進行していた

AI要約

比志さんは、34歳で「濾胞性リンパ腫」と診断され、抗がん剤治療を経験。病気が進行していることを知り、治療を受ける決断を迫られる。

医師からの治療提案に戸惑いつつも、自らの健康と将来を考え、抗がん剤治療に踏み切る決意を固める。

病気と向き合いながら、家族や周囲のサポートを受けながら、精神的な苦しみや不安との戦いを続ける比志さんの姿が浮かび上がる。

【闘病】お腹が痛む原因は「濾胞性リンパ腫」… ステージ4まで進行していた

働き盛りの年代で病気になった方は、体の辛さや不安はもちろんですが、社会との接点を絶たれたような精神的な不安や孤独に苛まれることも多いようです。

比志さん(仮名)は、34歳で「濾胞性リンパ腫」と診断され、3度の抗がん剤治療を経験。闘病生活で大変だったことやお金の話、治療薬の進歩を実感されたことなどについて語ってもらいました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年4月取材。

編集部:

病気が分かった時、どのような生活だったのですか?

比志さん:

高校を卒業後、海外で仕事をしながら12年ほど暮らしたのち、30歳を機に帰国しました。

語学を活かしてフリーランスの仕事をしていましたが、以前から体調が優れないことが気になっていたので、心身ともにリラックスして体調を整えようと、両親が移住した田舎で一緒に暮らし始めたころでした。

編集部:

どんな症状があったのですか?

比志さん:

主に下腹部の痛みです。その時は原因が分からず、「膀胱炎かな?」と思っていました。そのうち夜中に不快感で起きてしまうほどの寝汗をかいたり、少しずつ体重が減っていったりしていたのですが、健康診断で問題がなかったので、様子を見ていました。

編集部:

そこからどのようにして診断に至ったのですか?

比志さん:

34歳の時、婦人科検診で見つかった子宮筋腫の摘出手術をした際、術後の血液検査で異常が見つかりました。同じ病院の腫瘍内科で診察を受け、後日CT画像検査をしたと記憶しています。

医師が首、脇の下、足の付け根(鼠径部)を触診し、「リンパ節が腫れている」と言っていました。「感染症」も疑われましたが、血液検査の結果からも、もうひとつの可能性である「血液のがん」の可能性があるとのことでした。

比較的大きく腫れている箇所を切開してリンパ節を取り出し、組織を調べるという生検手術をする話がありましたが、この時は頭の中が混乱状態で、何をどう消化したらいいのか分からず、呆然としながら帰宅しました。

このことを両親に何とか平常心を保って伝えたつもりでしたが、慌てた両親と混乱している自分、家の雰囲気は一気に不安で覆われてしまいました。

編集部:

リンパ節の生検手術は後日行われたのですね?

比志さん:

外科手術で緊張と不安でいっぱいでした。手術は局所麻酔で行われるので、痛みは感じなくても音は聞こえ、感触も伝わります。

この時は左脇の下のリンパ節を取ったのですが、レーザーで焼いている音、リンパ節を引っ張る感触などがはっきりと分かり、めまいがするほど怖かったです。

編集部:

診断結果はどうだったのですか?

比志さん:

診断された病名は「濾胞性リンパ腫」という血液のがんで、病気の進行が年単位でゆっくりと進む低悪性度リンパ腫に分類される病気でしたが、その時すでにステージ4まで進行していました。数年前から気づかないうちに病気が進行していたようです。

リンパ腫の場合、腫れたリンパ節の痛みはないのですが、腫れたリンパ節が周りの筋肉や臓器を圧迫することで痛みを感じることがあるようで、私の下腹部の痛みも、腫れたリンパ節が子宮や膀胱を圧迫していたのが要因でした。

編集部:

どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?

比志さん:

医師から抗がん剤治療を勧められましたが、なかなか受け入れられず、ほかに治療方法はないのか考えたいと伝えました。当時30代だった私の周りにがんを経験した人はいませんでしたし、手の届く情報が少なく、治療の選択肢も多くありませんでした。

抗がん剤治療を受けてどんな状態になるのか、どんな副作用で苦しむのか、分からないことが多すぎて怖くて治療を拒んでいました。

⺠間療法や代替療法の治療を調べても保険が効かないなど、現実的ではないことを知り、落胆して病気を治すことを諦めようかとも思いました。医師からは「治療をしなければ余命1年くらい」と言われたので、県内のホスピスに話を聞きに行ったこともありました。