【コルベット物語】90年代初頭のコルベット C4 ZR-1は誰も認めないシボレーのスーパースポーツカーだった?

AI要約

シボレーが70年代後半に新型の「コルベット」を開発し、軽量で扱いやすいスポーツカーとして登場した。

1986年、GMがロータスに高回転型の自然吸気エンジンの設計を依頼し、5.7リッターDOHCエンジンの「LT5」が生まれた。

「ZR-1」はエンジンパワーを切り替えることで、普段は穏やかな挙動を見せるが、3000rpm以上では獣のような力を発揮する。

【コルベット物語】90年代初頭のコルベット C4 ZR-1は誰も認めないシボレーのスーパースポーツカーだった?

90年代初頭、ZR-1は誰も認めないシボレーのスーパースポーツカーだった。それがZR-1の魅力であると同時に、没落の原因でもあった。

時は70年代後半、シボレーは「C3」モデルの終焉に備えていた。「C3」はまだ60年代のデザインをベースにしており、古いクルマのような走りをしていた。特にシボレーはオイルショックでアメリカのスポーツカーの価格を大幅に引き上げていた。販売台数は落ち込んでいなかったため、GMは巨費を投じて第4世代の「コルベット」を開発する資金的余裕があった。シャシーにはフロントにダブルウィッシュボーン、リヤに5リンクが採用され、開発チームは歓喜に沸き、最初のテストドライバーは目を見張った。

シャシーコンポーネントの多くもアルミニウム製となり、「C4」は軽量で驚くほど扱いやすくなった。ファイバーグラス製のボディは極めてフラットで直線的で、クラムシェル型のボンネットが存在感を示していた。その下にあったのは、当時の一般的なウッドパネルを備えたファミリーエステートカーの敏捷性だけだった。クロスファイアの「L83」型エンジンは生産初年度に「C3」から引き継がれたが、インテークマニホールドインジェクションを搭載した「L98」型エンジンは、気性の荒いエンジンとして知られていなかった。これに日本からのハイテクスーパーカーの脅威とクライスラーによる「ダッジ バイパー」の発表が重なり、「C4」は地に堕ちるのを避けるために、何よりもボンネットの下にさらなる騒動を起こす必要があった。

1986年にGMがロータスを買収したのは良いことだった。保守的に設計された「ヴェット」のスモールブロックV型8気筒エンジンは、ターボチャージャーを装着しなければ400馬力まで引き上げることができなかったからだ。デトロイトルネッサンスセンターの上層部にとって、それはあまりにも厄介なことだった・・・。

そこで、彼らはヘテルに高回転型の自然吸気エンジンを依頼したのだが、ロータスは手を抜くことなく、5.7リッターDOHC(ダブルオーバーヘッドカムシャフト)というエンジン技術の傑作を設計した。

シリンダーバンクあたり2つのオーバーヘッドカムシャフト、32個のバルブ、16個のインジェクションノズル。これが「LT5」の特徴的な回転の楽しさを生み出している。面白いのは、「ZR-1」が “フル・エンジンパワー”モードでない場合、プッシュロッド式V8のような挙動を示すことだ。しかし、追加キーを右に回すと、ライダーはまったく違う種類の獣を解き放つ。3000rpmを超えると、エンジンは文字通り回転数を求めて叫び声を上げ、その回転数は通常より1オクターブ高いだけで、クラシックなUSビートの素晴らしいサウンドを響かせる。