明石海峡を望む! 梅雨時でも歩きやすい藍那地区での歴史浪漫を訪ねる里山ハイキング

AI要約

藍那地区での里山ハイキングの後編。源平合戦の舞台とされる古道を辿る。

高尾山への道をたどり、神戸市立鵯越墓苑を訪れる。

鵯越大仏や電鉄鵯越駅を巡り、神戸の歴史と自然を楽しむ。

明石海峡を望む! 梅雨時でも歩きやすい藍那地区での歴史浪漫を訪ねる里山ハイキング

お洒落でハイカラなイメージのある神戸市内とはとても思えない、のどかな里山風景が広がる藍那地区での歴史浪漫を訪ねる里山ハイキング。

前編では、ローカル鉄道・神戸電鉄粟生線「藍那駅」から、国営明石海峡公園神戸地区「あいな里山公園」の園内までをご紹介しました。後編では、源平合戦「鵯越の坂落とし」の舞台かも? と伝わる古道を辿ります。

あいな里山公園の相談ヶ辻出入り口を出ると、白川台へ向かう道と、星和台方面への道に分かれます。

ここで軍議を開いた義経軍が、実際にどちらへ進んだのかは文献が残っていないためはっきりしません。高尾山(たかおやま)方面へ向かったのか、はたまた白川の里を経て須磨の一の谷へ向かったのか……。今回は、高尾山への道をたどります。しばらくは、のどかな里山風景が続きます。

畑と樹林に囲まれた静かな道を登っていくと、住宅街のはずれへ。星和台という閑静な住宅地を通り抜け、南へ進みます。義経軍が通ったかもしれない時代には、たぶん樹に覆われた山だったと思います。

まっすぐ南下すると、「しあわせの村」入口と「鵯越霊園」入口が左右にある交差点へ。左折して、霊園への道を登っていきます。高尾山周辺は、今は神戸市立の霊園になっているのですが、「鵯越」の道はこの山のあたりを通っていたはず。山頂手前あたりで、明石海峡が見えます。

いよいよ高尾山の山頂へ。墓苑内の道路からの登り口には、高尾地蔵院があります。

源義経が進軍してきて、ここで馬をつないだという伝説のある「義経馬つなぎの松」があったそうですが、今は枯れてしまって、「跡」になっています。ここからしばらく登ると、山頂へ。ちょっとした広場になっていて、南西側の眺望が開けています。

山頂を後にし、南側へと下っていきます。墓苑内の舗装道からちょっと外れて、寄り道をしてみます。ガードレールの隙間からうっすらとした踏み跡を辿って風化花崗岩の岩尾根を下ると、蛙のようにも見える面白い形をした岩があります。義経軍はこんな感じの斜面を馬で駆け下ったのでしょうか。

神戸市立鵯越墓苑は、208ヘクタールもの広さがあって、たくさんのエリアに分けられています。さくら地区、しゃくなげ地区、ねむのき地区など、植物名がつけられた区画がたくさんあり、場所によってはとても個性的な墓石が並んでいるところもあります。

墓苑の南端に近いところに、「鵯越大仏」が祀られているので、お詣りしていくことに。1932年(昭和7年)に開眼供養が行われたもので、当時は墓苑の一番高いところにあったそうですが、その後区画が背後にどんどん広がっていったそうです。

かなり立派なお姿ですが、4頭身くらいでちょっとお顔の比率が……。前は展望広場になっていて、南側の眺望が広がっています。墓苑内を通り抜けて、バス道から東へ小道を下っていくと、ゴールの神鉄鵯越駅です。

線路沿いの東側には六甲全山縦走路が通っていて、全山縦走大会の日にはたくさんのハイカーが通るところ。ふだんは無人駅なので、平日の昼間はとても静かです。最近、かなり〝義経推し〟な感じになってきて、改札前にはこんな巨大なイラスト看板が登場してます。

ホームにも、源平合戦の絵があります。周辺の歴史を解説する看板などもあるので、電車待ちの間にもいろいろ学べて楽しいです。

今回はこの駅をゴールにしましたが、もう少し歩くと、平清盛が居を構えたと伝わる「雪の御所跡」などもあります。ハイカラ神戸も、じつはいろんな歴史を秘めた街なんですよ。