神戸・都賀川水難事故16年「逃れられない災害、どう向き合う」阪神・淡路大震災30年を前に

AI要約

ゲリラ豪雨による水難事故から16年、神戸市で5人が死亡

都賀川の整備や自然災害への対応についての振り返り

災害について若い世代への伝え継ぎと検証の重要性

神戸・都賀川水難事故16年「逃れられない災害、どう向き合う」阪神・淡路大震災30年を前に

 ゲリラ豪雨による増水で子どもを含む5人が死亡した都賀川(神戸市灘区)の水難事故から28日で16年となった。

 2008年7月28日午後3時前、快晴だった神戸市の上空の様子が変わり、激しい雷雨に襲われた。水位は10分ほどで1.3メートルも上昇して濁流となり、子ども3人を含む5人が死亡した。

 事故で犠牲になった子どもと同じ学童保育所に子どもを預けていた神戸市の谷口美保子さんは、市民団体「7月28日を『子どもの命を守る日に』実行委員会」を事故の翌年(2009年)に立ち上げた。

 都賀川は阪神・淡路大震災後、「親水公園」として整備された。そして、六甲山系から流れてくる水に対する排水溝の役割もあった。

 谷口さんは当時を振り返り、「都賀川は”皆さんが親しめる川”というイメージだけが強くなり、大雨により流れが急になるという意識が薄くなっていた。川との付き合い方を忘れた頃に、ゲリラ豪雨に襲われて悲劇を生んだ」と話す。

 谷口さんには、さまざまな思いがある。1995年1月17日の阪神・淡路大震災発生時、薬剤師として神戸市内の診療所に勤務、建物が半壊しているが診療を続け、多くの患者を受け入れた。

 そして、「私たちは災害から逃れることができない。いかに自然と付き合っていくのか、災害にどう向き合うのかを考えてほしい」と話す。

 今年(2024年)は、元日の能登半島地震、7月25~26日にかけて、山形県と秋田県を中心に降り続いた記録的な大雨など自然災害が続く。

 「災害という悲しい現実、忘れたくなる気持ちもわかる。しかし、同じような被害とならないよう、若い世代に語り継ぐことが重要だ」と気を引き締める谷口さん、「今後、災害が起きた時、一人でも救うことができるように、(行政や個人を含めて)災害当時のひとつひとつの判断が適切だったかを検証することが大切」と訴える。

 まもなく阪神・淡路大震災から30年。「30年間、人それぞれの生き方があったと思う。苦しみ、立ち上がってきた方々の生きざまがあったはず。そうした道筋をしっかりと受け止めなければ」と気を引き締めた。

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 大阪府吹田市の建設会社経営、能勢文夫さん(66)もこの日、慰霊式を訪れた。

 能勢さんは都賀川に架かる橋の耐震補強工事に従事していた。上流から濁流が迫る中、中洲の真ん中にいたことが幸いした。必死で橋脚にしがみつくこと約30分。レスキュー隊に助けられ、一命を取り留めた。

 

 能勢さんも阪神・淡路大震災翌日から24時間体制で、倒壊した阪神高速道路の復旧作業などに携わっていた。震災当時を知る能勢さんにとって、神戸は安全なところに生まれ変わったと信じていたが、「まさか、“ゲリラ豪雨”に襲われるとは」。

 それ以来能勢さんは、「災害大国・日本」という言葉をかみしめて日々の仕事と向き合っている。