土屋凛「自分は人と違う」ジェンダー差別に苦しんだ壮絶な過去を公表

AI要約

LGBTQ+についての報道や支援の声がますます大きくなる昨今、私たちはどれだけ理解ができているでしょうか。

ミスインターナショナルクイーン2024日本代表の土屋凜さんと、一般社団法人gid.jp日本性同一性障害と共に生きる人々の会(以下、一社)gid.jp)から代表理事の永沼利一さんと、臨床心理士の西野明樹さんをお招きし対談していただきました。

自分の人生を生きるために、親と離れるという選択肢しかない時期もあるかもしれないですよね。

土屋凛「自分は人と違う」ジェンダー差別に苦しんだ壮絶な過去を公表

LGBTQ+についての報道や支援の声がますます大きくなる昨今、私たちはどれだけ理解ができているでしょうか。今回はミスインターナショナルクイーン2024日本代表の土屋凜さんと、一般社団法人gid.jp日本性同一性障害と共に生きる人々の会(以下、一社)gid.jp)から代表理事の永沼利一さんと、臨床心理士の西野明樹さんをお招きし対談していただきました。それぞれがどのように自分の人生を生きるようになったのか、その中で直面した現実なども語っていただきました。

永沼さん:

土屋さん、ミスインターナショナルクイーン日本大会2024のグランプリ、おめでとうございます。

土屋さん:

ありがとうございます。ミスインターナショナルクイーンは、トランスウーマンのオピニオンリーダーを輩出する大会です。私はトランスウーマンだけでなく、日本とフィリピンのハーフとしての思いも発信したくて出場しましたが、まさかグランプリを取れるとは思っていなかったので自分でも驚いています。

西野さん:

ハーフであることと性別、両方のマイノリティとしてのオピニオンリーダーなのですね。

土屋さん:

そうですね。永沼さんが代表を務められている、一社)gid.jpはどんな会ですか?

永沼さん:

主に性別に違和感を持つ人、私たちも当事者ですが、そういった人を支援する団体です。

当事者やその家族への支援や情報共有のほか、必要に応じて法的な相談に応じたり政府へ働きかけたりしています。

土屋さん:

どういった思いで始められたのですか?

西野さん:

活動を始めた当時は性別違和という言葉もなく、身体的性別と性自認が一致しない人は、社会から理解されない存在で、私自身も「自分だけがおかしいのでは?」という孤独を感じています。そこをなんとかしたいという思いが活動のきっかけです。

土屋さんは、いつから自分の性別違和感を自覚したのですか?

土屋さん:

6歳くらいだったと思います。同い年の従姉妹のスカートが履きたいと思うようになり、8歳で憧れた相手が男の子だった時に、自分は人と違うのかなと思うようになりました。お二人はどうですか?

永沼さん:

私の場合は、物心ついた頃からすでに自分の性別に違和感がありました。

西野さん:

私も物心ついた頃から「いつか立ってトイレができるようになるのでは」と思っていました。それがあり得ない考えで、自分は男にはなれないと悩み始めたのは小学校5、6年の頃です。土屋さんはご自身の性別違和に気づいた時、誰かにお話ししましたか?

土屋さん:

いじめられてしまうのではないかと思い、しばらくは話せませんでした。逆に男っぽい服装をして低い声を出すようにしていた時期がありました。

西野さん:

私も隠そうとしました。スカートを履いたりお化粧をしてみたこともありましたね。

永沼さん:

確かにそういう時期はありました。みんな通る道ですね。

西野さん:

最初は誰にカミングアウトをしましたか?

土屋さん:

母に女性として人生を歩みたいと泣きながら伝えました。最初は反対されてしまったので、家族と離れて一人暮らしをしながら仕事を見つけて自立しました。

西野さん:

私も大学時代に父に話しましたが、頭がおかしいと言われて絶縁し、必至にアルバイトをして生きていた時期がありました。永沼さんは?

永沼さん:

私は直接伝える勇気がなく、母に手紙を書きました。渡した直後、家にいるのが怖くて外出してしまったのですが、母から「すぐには受け入れられないけど、伝えるのに勇気がいったよね。頑張ったね」とメールがきました。あの日のことを思い出すと今でも涙が出ます。この人が母親で良かったなと思いました。私たちのコミュニティでは親との関係に悩んでいる人が本当に多いので、自分は恵まれていたと思います。

土屋さん:

理解のあるお母様ですね。羨ましいです。

永沼さん:

ありがとうございます。母に伝えておきます(笑)。土屋さんはお母様と離れた後どうされたのですか?

土屋さん:

女性ホルモンの治療を早く受けたかったので治療費のためにお仕事をものすごく頑張りました。

母と仲直りをしたのは2年後くらいです。生きていて良かったと思いました。

西野さん:

カミングアウトは1回で終わらないですよね。私自身も親や友達、同僚と何度も勇気を出して伝えて、否定されたり受け入れられなかったりした一方で、認めてくれる人や応援してくれる人もいて少しずつ生きやすくなりました。それまでは自分で勝手に諦めていた部分もありましたが、自分がアクションを起こすことでこんなに変わるんだと気づきました。親とも時間をかけて和解することができました。

永沼さん:

カミングアウトはすごく難しいと思います。

土屋さん:

難しいですが、シンプルでもありますよね。殻に閉じこもった自分でいるか、幸せな自分でいるか。自分の人生を生きるために、親と離れるという選択肢しかない時期もあるかもしれないですよね。

永沼さん:

その通りですね。苦しい思いをして隠し続けるか、自分の生きたいように生きるか。これに尽きると思います。少しの勇気が必要ですが、やはり誰もが自分の人生を生きたいのではないでしょうか。