山手線は緑色、中央線はオレンジ色。JRの「路線カラー」はどのようにして決まった?

AI要約

JRの路線カラーが決まった経緯を解説。

元々は誤乗防止のため別の色を使われていたが、後に路線カラーとして色分けされた。

1950年代から1970年代にかけて、各路線ごとに異なる色が決まっていった。

山手線は緑色、中央線はオレンジ色。JRの「路線カラー」はどのようにして決まった?

お出かけや仕事に、多くの人が利用するJRの電車。山手線は緑色、総武線は黄色といったように、それぞれの路線ごとに色がついているが、この色がどのようにして決まっていったかはご存じだろうか。

「All About」鉄道ガイドの野田隆が解説する。

(今回の質問)

山手線→緑色、中央線→オレンジ色……JRの路線の色はどのようにして決まったんですか?

(回答)

元々は誤乗防止のため別の色を使ったとされている。その後、路線カラーとして何種類かに色分けされた。

蒸気機関車が主力であった旧国鉄の車両の色は、煤煙(ばいえん)によって汚れが目立たないように黒やブドウ色(焦げ茶色)が主体だった。首都圏や関西圏で活躍していた通勤電車(国電)もブドウ色ばかりで、よく言えば重厚、華やかさとは無縁のものだった。

1957年、都内を走る中央線に101系(登場時は90形)電車が登場した。それまでの車両とは一線を画す「新性能電車」で、ドアは両開きとなり、塗装も鮮やかなオレンジバーミリオン一色。利用者、特に丸の内に通勤する女性からは「金魚」の愛称で呼ばれた。

なぜオレンジ色になったのか、正確なことは不明だが、当時の担当課長が夫人の愛用していたセーターの色にヒントを得たとの説が有力である。中央線に続き、この101系は山手線に投入される。その際、中央線と競合する東京駅や新宿駅での乗り間違いを防ぐため別の色にすることが提案され、カナリアイエローの電車が走り始めた。

ところが、101系ではオーバースペックということになり、変電所などの設備も大幅に増強する必要に迫られることに。そこで、経済性を重視した103系が登場することとなり、車体色はウグイス色(ライトグリーン)とすることが決まったのだ。すでに走っていたカナリア色の101系は、そのまま中央線緩行&総武線に異動。このあたりから、国電は路線別に色を変えることとしたようだ。その後、1965年になると京浜東北線に103系が投入され、車体色はスカイブルーとなった。さらに、1971年の常磐線複々線化開業にともない、常磐線快速電車はエメラルドグリーンの103系がデビューした。これ以後、新たな単色カラーが加わることはなかった。