養老「90歳で倒れた母。子供が面倒を見なくなったら自分で歩けるように…」養老孟司×小堀鴎一郎が<病院での死>を考える

AI要約

調査によると、医療・介護従事者が末期がんの最期を自宅で迎えたいと考えているが、在宅死が必ずしも理想的な死とは限らないという意見もある。

小堀先生と養老先生がそれぞれの体験を通じて、家での死に対する考え方や家族の希望の尊重について語る。

家での死については様々な視点があり、家族や医療従事者、患者の立場からの意見を尊重することが重要である。

養老「90歳で倒れた母。子供が面倒を見なくなったら自分で歩けるように…」養老孟司×小堀鴎一郎が<病院での死>を考える

令和4年度、厚生労働省は「人生の最終段階における医療・ケアに関する意識調査」を実施しました。この調査によると、「末期がんと診断された場合、最期をどこで迎えたいか」という質問に対し、医療・介護従事者が最も多く答えたのは「自宅」だったそうです。そのようななか、訪問診療医の小堀鴎一郎(鴎の文字、正しくは鳥部と匸に品)先生は「在宅死は理想的な死かというと、必ずしもそうではない」と話します。今回は、解剖学者の養老孟司先生との共著『死を受け入れること ―生と死をめぐる対話―』から一部を、お二人の対談形式でお届けします。

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◆病院で死にたくない

小堀 僕の母親は88歳で亡くなりました。その少し前から食べられなくなっていたのですが、医者嫌い、病院嫌いだったから、病院には絶対に行きたくない。医者の僕にも会いたくなかった。

結局、僕の同級生でうちにもよく遊びに来ていた友人の病院ならいいということでようやく入院が決まったのですが、病院から迎えが来た日の朝、僕が父親のために届けた薬と朝刊を手に持ったまま玄関のたたきで冷たくなっていました。

彼女が望んでいた通り、医者の手にかからずに死んだのです。

姉が言うには、身体に打ち傷があったらしく、日常的に転倒したりして、かなり具合が悪かったんだろうと思います。

◆母の希望

養老 うちの母も入院したくないと言っていました。母のことは僕の同級生が診てくれていて、同級生は僕と意見が一致していたんです。

それは、必要以上に調べないということ。調べるとまたあれこれいじることになりますから。自宅で死にましたが、前の晩は元気で、朝になったら、という。解剖する必要もない。95歳でしたから。

実は、その5年前にも一度倒れたんです。それで、兄と姉と僕と3人で相談して、姉は入院させようと言ったのですが、母はしたくないと。

僕は、どちらかというと母の希望を聞いてやりたかった。だけど、それで誰かが迷惑するのもどうか、と思いました。その辺が難しいところです。誰が面倒を見るかとなった時、兄が無職だったこともあり、兄が見るということになりました。