養老孟司と小堀鴎一郎が<病院で死ぬこと>について考える。養老「病院で生まれて病院で死ぬなら、全員が仮退院中」

AI要約

厚生労働省が実施した調査では、医療・介護従事者の多くが末期がんの最後を自宅で迎えたいと回答しているが、在宅死が理想的かどうかは議論の余地がある。

日本では病院で死ぬことが常識となっており、在宅死の割合はそれほど増えていない。

都会化が進んだ現代においても病院での死が当たり前となっているが、個々の意向や環境によって異なる。

養老孟司と小堀鴎一郎が<病院で死ぬこと>について考える。養老「病院で生まれて病院で死ぬなら、全員が仮退院中」

令和4年度、厚生労働省は「人生の最終段階における医療・ケアに関する意識調査」を実施しました。この調査によると、「末期がんと診断された場合、最期をどこで迎えたいか」という質問に対し、医療・介護従事者が最も多く答えたのは「自宅」だったそうです。そのようななか、訪問診療医の小堀鴎一郎(鴎の文字、正しくは鳥部と匸に品)先生は「在宅死は理想的な死かというと、必ずしもそうではない」と話します。今回は、解剖学者の養老孟司先生との共著『死を受け入れること ―生と死をめぐる対話―』から一部を、お二人の対談形式でお届けします。

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◆病院で死ぬことが常識

小堀 統計を見ると、今、在宅死は12~13%くらいの割合です。死んだ場所で病院死の割合が減少傾向にあるのは、老人ホームや介護施設で死ぬ人が増えているから。ただ、今後、在宅死が増えるということはないでしょう。

それは、日本では病院で死ぬことが当然と考えられているから。医者も死ぬ人も、そうなんです。日本は、僕と養老先生が生きているこの10年くらいは変わらないのではないですか。

養老 本人の希望とは関係なく、病院で死ぬことが常識なのでしょう。僕は病院に行くのは、現代人の道理に嵌(は)め込むってことだと思っています。

病院が嫌なら行かなきゃいい。僕は女房が心配するので、仕方がないから病院に行きます。家族に無駄な心配をかけたくない。自分だけで生きているわけではないから。だけど、自分からは決して行きません。

◆日本は一斉に都会化した

養老 日本は一斉に都会化してしまいました。少なくとも頭の中では。病院で生まれて、病院で死ぬとしたら、僕たちは全員仮退院中の患者です。

でも病院で死ぬのは嫌。それこそ、虫捕りの最中に事故で死んだほうがマシです。

うちの兄は奥さんが先に死んで、10年くらい都営住宅で一人暮らしをしていました。競馬友だちが来て死んでいるのを発見したのは、ちょうど大晦日(おおみそか)でした。

在宅で死んで当たり前という感じですが、管理会社がうるさくて。次に借りる人が気にしないように、どういう状況で死んだかという。

小堀 そうですね。