女性官僚のパイオニア、圧倒的な信念と人間的な魅力とは。樋口恵子が語る赤松良子「『社会を変えなければ』と熱気のある時代だった」

AI要約

女性官僚のパイオニアであり、男女雇用機会均等法の成立に尽力した赤松良子さんが94歳で亡くなった。

樋口恵子さんは赤松さんとの最後の食事の約束を果たせず、その残念さを語る。

赤松さんとの長い交流を振り返り、60年前に始まった婦人問題懇話会での活動を語る。

女性官僚のパイオニア、圧倒的な信念と人間的な魅力とは。樋口恵子が語る赤松良子「『社会を変えなければ』と熱気のある時代だった」

女性官僚のパイオニア的存在であり、「男女雇用機会均等法」の成立に尽力するなど国内外で活躍してきた赤松良子さんが、2024年2月6日、94歳で逝去されました。大学の後輩で、志をともにしてきた樋口恵子さんが、赤松さんの大きな功績と親交の思い出を語ります(構成:篠藤ゆり)

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◆かなわなかった最後の晩餐

突然の訃報を聞いて、しばし茫然としました。94という年齢を考えれば、いつそういうことがあってもおかしくはありません。

でもこの1月にも、赤松さんが代表を務めている、女性議員を増やすための「クオータ制を推進する会」(Qの会)の例会に出席され、会の後、いつも通りおおいに食べて飲んだと聞いていましたから。

じつは昨年の12月に、食事のお誘いを受けていました。私は体調を崩していて、しばらく会食できないとお返事したところ、とても寂しそうなご様子だったそうです。

年が明けてしばらくしてから、「このところ体調回復。そろそろ、お夕食会の日程調整ができると思います」とハガキを出したら、すごく喜んでいらしたと人づてに聞いて。私も「よかった、早くお目にかかりたい」と思っていました。訃報に接したのは、それから10日後くらいのことです。

私はお酒を飲めないので、いつも食べる専門。赤松さんはイケる口でしたので、お酒を飲みながら、「超高層ビルの中に、いまだに家父長制がはびこっている!」「なぜ選択的夫婦別姓が実現しないのか」「それでも、女性の仲間がどんどん増えていくのは頼もしい」などと、忌憚なく語り合うのが常でした。

近いうちに、あの胸のすくような口調がまた聞けると楽しみにしていたのに──本当に残念です。

◆熱量のある先輩と元気な後輩コンビ

赤松さんとのご縁は、60年ほど前にさかのぼります。1962年、新聞で「婦人問題懇話会」(のち日本婦人問題懇話会)の発足式が行われるという記事を読み、直感的に「これだ!」と思いました。

同会は、婦人運動の先駆者のお一人である山川菊栄さんを中心に、婦人問題を研究し、論じるためにできた団体です。

後に労働省(現・厚生労働省)婦人少年局婦人課長を経て参議院議員になった田中寿美子さん、女性弁護士の先駆者のお一人、伊東すみ子さんなど錚々たる女性たちが発起人に名をつらね、労働省におられた赤松さんもメンバーでした。

そのころ、夫を病気で亡くした私は母に子育てを手伝ってもらいながら、出版社で編集者として働いていました。結婚して仕事を続ける女性は、まだ少数派だった時代。「共働き」という言葉が使われ始めたころです。

さっそく婦人問題懇話会の集会に駆けつけたところ、みなさんの熱量にびっくり。あのころ、女性たちは「力を合わせて頑張れば社会が変わるかもしれない。いや、変えなければ」という思いで手を取り合っていた。そういう熱気のある時代だったと思います。

私は入会を即決。家庭婦人分科会に所属しました。