最後の徳川将軍と同じ名前、歴史を書く圧倒的な説得力 作家・門井慶喜さん 一聞百見

AI要約

作家の門井慶喜は、幅広いジャンルの作品を手がけ、歴史から現代に通じるテーマや人間の姿を描き出す人物である。

慶喜という名前は父親がつけたもので、江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜から取られたが、最初はからかわれることもあったという。

慶喜は大学卒業後に作家を志し、25歳から原稿を書き始め、平成15年にオール読物推理小説新人賞を受賞してデビューを果たした。

最後の徳川将軍と同じ名前、歴史を書く圧倒的な説得力 作家・門井慶喜さん 一聞百見

産経新聞の読者には連載「門井慶喜(よしのぶ)の史々周国(しししゅうこく)」や読者投稿「朝晴れエッセー」の選考委員でもおなじみの作家、門井慶喜さん(52)。美術などを題材にしたミステリーから歴史小説まで幅広いジャンルの作品を手がけ、「歴史」の中から「現代」にも通じるテーマや普遍的な人間の姿を描き出す。

慶喜の名は、歴史好きだった父親の政喜(まさき)さんが自分の名前の1文字をあててつけた。「(代々にわたってつける)通り字は歴史好きの人にありがちで、僕も3人の息子の名前に『喜』をつけました」。ただ、門井さんの場合、江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜と同じ名前だった。「名君とも暗君ともいわれる評価の定まっていない人物で、大人になればそれが魅力だとわかりますが、子供の頃はからかわれたりして嫌いな名前でした」

ところが、平成10年放送の大河ドラマで慶喜が主人公になると一変する。「よしき」と読み間違えられることもなくなり、父はまるで門井さんが世間に認められたかのように喜んだ。「今は父に感謝しています。歴史を書く作家としての圧倒的な説得力がありますから」

自宅には、父が買い求めた司馬遼太郎作品や歴史雑誌などが数多くあり、門井さんにとって歴史は身近な学問だった。「歴史を勉強するなら京都」と同志社大学に入学し、史学を学んだ。

作家を意識し始めたのは20歳頃。「僕は作家に『なりたい』と思ったことは実は一度もなくて、気がついたら『なる』ものだと思っていた。オタマジャクシがカエルになるのが自然なように」

ただ、膨大な読書量に比して、原稿は一枚も書いていなかった。4年生になり、「ひょっとしたら原稿を書かないと作家になれないのではと気づいた」と笑う。

卒業後は栃木県宇都宮市の実家に戻り、大学職員になった。時間的な余裕などを考慮し、作家になるために決めた就職先だった。それでも2年ほどは読書一辺倒で、ようやく原稿を書き始めたのは25歳頃からだ。「書けなくて苦しむという感じではなく、たまった水が自然にあふれ出したイメージです」と振り返る。

新人賞の最終候補に残りながら受賞を逃し続け、自嘲気味に「Mr.ファイナリスト」を自称したが、ついに平成15年、「キッドナッパーズ」でオール読物推理小説新人賞を受賞し、作家デビューを果たした。