21歳現役大学生、衝撃のデビュー作!豊永浩平『月ぬ走いや、馬ぬ走い』の歴史と現在を接続する「声」

AI要約

第67回群像新人文学賞を受賞した『月ぬ走いや、馬ぬ走い(ちちぬはいや、うんまぬはい)』(講談社刊)は、現役大学生の著者が沖縄を舞台に、戦争末期から現在まで約80年にわたる歴史を紡いだ意欲作だ。戦時中の日本兵から今の女子高生や小学生まで多彩な「語り」を駆使し、歴史と現在を接続する圧倒的な筆力が話題を集めている。

著者の豊永浩平さんが沖縄で育ち、文学創作の過程やモチーフについて語っている。自身が戦争体験者でも戦後の状況を限界まで考え抜いた人物でもないため、作品創作までに自身の力量や方法論を獲得することを決意する。

若い著者はインターネットを通じて文学活動を継続し、文章力を向上させてきた。映画監督ジャン=リュック・ゴダールの死を軸にした論考や同人誌への寄稿を通じて、著者は『月ぬ走いや、馬ぬ走い』の着想を得る。そして、「亡霊」というモチーフについての論考が作品制作の重要な要素となる。

21歳現役大学生、衝撃のデビュー作!豊永浩平『月ぬ走いや、馬ぬ走い』の歴史と現在を接続する「声」

第67回群像新人文学賞を受賞した『月ぬ走いや、馬ぬ走い(ちちぬはいや、うんまぬはい)』(講談社刊)は、現役大学生の著者が沖縄を舞台に、戦争末期から現在まで約80年にわたる歴史を紡いだ意欲作だ。戦時中の日本兵から今の女子高生や小学生まで多彩な「語り」を駆使し、歴史と現在を接続する圧倒的な筆力が話題を集めている。本書の構想はどこから生まれたのか?著者の豊永浩平さんが本書に寄せたエッセイ「ぼく(ら)の亡霊たち」(「群像」2024年8月号)を転載してお届けする。

なにやら自分にはある程度の分量の本を読み、そしてある程度の分量の文章も書くことができるらしい、とうぬぼれの端緒を摑んだ若い人間が、その自覚の延長線上にある「もしや小説家になれるのではないか」という下心へ行き着くには、たいした時間も掛かりませんでした。そしてぼくは沖縄で生まれ、沖縄で育った、ひとまず土着といえる若者です。小説のモチーフとして、さきの災禍を記すことに思いいたるのも、またしぜんでした。しかし、それを留めるものがある、─お前は我々とともにあの戦争を体験したのでもなければ、戦後、限界まで考え抜いた人間というわけでもない、お前に我々を書く資格があるか?という声が。むかし海辺のガマをおとずれたときに聞いた、洞穴ぜんたいに反響する、余りにもくらい海鳴りとして、ぼくは強迫的にその声を感じていました。だからこそ、描くに足る力量と方法論を獲得するまで、機が熟するのを待つことにした。というよりも、待たざるをえませんでした。

およそ年に二回、上半期と下半期を別けるかたちで、それぞれの時期に集中的に読んだ本や、みてきた映画・アニメ、そして音楽をとおして考えたことをすべて合わせて一本の小説を書く。書き上がった小説を公募に送って、インターネットで下読みを募る。高校のおわり頃からこのサイクルを回すうちに、じっさい、あきらかに文章力は向上し、いくつかの文芸誌にも「選考通過者」として名前が載るようになりました。また、それに併せて、インターネットをとおして文学系の同人誌から執筆依頼がくることもあった。大学との兼ね合いもあり、さして多く書けたわけでもなかった(というかひとつしか書けませんでした)のですが、偶然にも、そのひとつというのが、ヌーヴェル・ヴァーグの旗手たる映画作家、ジャン=リュック・ゴダール追悼を軸に掲げられた、映画の同人誌への寄稿でした。ぼくが論考の題材として選んだのは、立教ヌーヴェル・ヴァーグの系譜「パロディアス・ユニティ」に連なる日本の映画監督、青山真治。彼もまたゴダールの死没に相前後するかたちで亡くなってしまった人物のうちの一人です。方法論の側面からいえば、ぼくがこの『月ぬ走いや、馬ぬ走い(ちちぬはいや、うんまぬはい)』を着想しえたのは、「亡霊」というモチーフについて論考をとおし、原稿を一本執筆したことが大きいように思います。