老齢医療の現場で医師は見た…「元気なうちにやっておけばよかった」と多くの人が死に際に思う"後悔の内容"

AI要約

高齢者はお金とどう向き合えばいいか。医師の和田秀樹さんは、高齢になったらお金をどんどん使って人生を楽しむべきだと提言している。

老いを遅らせるためには自分の楽しみや他人のためにお金を使うことが重要である。

ある老人ホームのエピソードから、認知症の高齢者の振る舞いに対する人格の要因が示唆されている。

「ボケても愛される人」と「ボケて疎まれる人」の違いを若い頃の姿勢と結びつけて説明している。

認知症は欠落症状に対する人格の反応であり、個人の性格に応じて異なる症状が現れることが竹たけ中星郎先生の言葉から示されている。

高齢者はお金とどう向き合えばいいか。医師の和田秀樹さんは「高齢になったら、お金に対する考え方を改めるといい。体も心も元気で、頭もしっかりしているうちに、お金をどんどん使って人生を楽しむべきだ。老年医学に長い間携わってきた中で、患者さんが死ぬ前に後悔していたことの一つが、『お金をもっと使っておけばよかった』である。自分の楽しみにお金を使うこと、余裕があれば他人のためにも使うことで幸せを感じられ、それが心の健康や免疫力アップにつながり、ひいては老いを遅らせることにもなる」という――。

 ※本稿は、和田秀樹『みんなボケるんだから恐れず軽やかに老いを味わい尽くす』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。

■良妻賢母よりスケベじじいが愛される理由

 ある老人ホームのスタッフから、こんな話を聞きました。

 その施設には、同じ認知症なのに、みんなに好かれているおじいさんと、えらく嫌われているおばあさんがいるそうです。

 おじいさんは、いわゆる「スケベじじい」で、ときどきヘルパーさんのお尻をさわったりするのですが、いつもニコニコしていて朗らかで、スタッフからは「どこか憎めない」ということで、笑ってゆるされます。

 一方、おばあさんのほうはいつも不機嫌で、すぐに他人を責め、ヘルパーさんや看護師さんにも文句ばかり言っています。物を盗られたという被害妄想も強くて、入所者は誰も近づきません。

 興味深かったのは、その二人の生い立ちです。

 おじいさんは若いときからスケベで、浮気が絶えなかったそうです。妻からはもちろん、子どもたちからも尊敬されることはありませんでした。

 かたや、おばあさんは、ずっと家族に尽くしてきた良妻賢母でした。周りからは「偉いねえ」「よくやるねえ」と感心されていたといいます。

■真面目一筋の人は、いつも自分を厳しく戒める

 「ボケても愛される人」と「ボケて疎んじられる人」との違いは何なのか?

 認知症の高齢者を数多く診てきた私の経験から言えるのは、若い頃から我慢を重ねてきた人のほうが、高齢者になったとき、人あたりが厳しくなる傾向があるということです。

 真面目一筋の人は、いつも自分を厳しく戒めています。中には自分と同じように他人にも厳しい目を向ける人が少なくありません。

 老いても、その姿勢は変わることなく、脳の老化によって感情だけがコントロールできなくなっていく。その結果、頑なで嫌われるような言動が多くなってしまうのだと思います。

 若い頃から浮気ばかりしてきたような人は、ボケてものびのびしていて、周りから愛されている。浮気をするのが良いとは言えませんが、自由に生きていたほうが結果的にいいということではないでしょうか。

■認知症は、自分の欠落症状に対する人格の反応である

 私が浴風会病院に勤めていたとき、当時、精神科の部長だった故竹たけ中星郎(なかほしろう)先生には、ずいぶん多くのことを教えていただきました。

 その後の私にとって実に意味のある学びだったと感謝しているのですが、竹中先生は認知症について、こんなことをおっしゃっていました。

 「認知症は、自分の欠落症状に対する人格の反応である」

 簡単に言えば、認知症の症状は、いままでの自分に備わっていた能力が欠け始めたことに対して、もとの性格が反応し、さまざまな形で現れるのだというのです。

 たとえば、欠落症状の一つ「記憶障害」が起きて、財布をどこに置いたか思い出せないとしましょう。

 もともとの性格が疑り深い人なら、盗まれたと騒ぐ。生来クヨクヨしがちな人であれば、気分が落ち込んで、ひどいときはうつになる可能性もあるでしょう。もともとおおらかな人なら、まったく気にしないかもしれません。

 要するに、認知症であれば欠落症状は誰にでも起こるものですが、その人のもとの性格によって、現れる症状はまったく異なるということです。