「自分は血の袋のようなものだと思っていた」と語る千早茜。そんな彼女が“傷”をテーマに描いた短編集への思いとは〈インタビュー〉

AI要約

直木賞作家の千早茜さんが短編小説『グリフィスの傷』を出版。物語は痛みと癒やしを描き、10編の独立した短編から成る。

千早茜は、傷に興味を持ち、『あとかた』で傷について書いた経験から、この短編集を執筆したいと考えていたが、長編の執筆が多忙であったため短編の機会を得られずにいた。

作品では、同じ傷はないという考えからさまざまな傷の物語を提示し、被害者だけでなく加害者側の視点も取り入れられている。

「自分は血の袋のようなものだと思っていた」と語る千早茜。そんな彼女が“傷”をテーマに描いた短編集への思いとは〈インタビュー〉

2024年4月26日、直木賞作家の千早茜さんが短編小説『グリフィスの傷』(集英社)を刊行した。

「傷」をめぐる10編の物語が収録された本作は、痛みの向こう側にある癒やしと再生が描かれている。これまで、『あとかた』や『からまる』など、数々の連作短編集を世に送り出してきた著者が、本作ではそれぞれ独立した短編を書き上げた。

著者が本書に込めた想い、「傷」に対する思い入れ、「傷」と「傷痕」の違いについてうかがった。

――「傷」にまつわる物語を執筆したきっかけを教えてください。

千早茜(以下、千早):もともと傷が好きで、子どもの頃から傷に興味がありました。過去作品の『あとかた』(新潮文庫)で、気持ちの証として自分の体に傷を残す女の子を書いたことがあるんです。『あとかた』は、「遺すもの」「遺せないもの」をテーマに執筆した作品なのですが、この短編集を書き終えたあと、「どうしても残ってしまうもの」として、いつか傷の話を書きたいなとずっと思っていました。

 でも、『あとかた』が直木賞の候補になったこともあり、それからは長編の依頼が増えて。特にエンタメ誌は長編を求められることが多いので、なかなか短編集を書く機会が得られませんでした。そこで、担当者が「純文だったらより自由に短編を書ける」と月刊文芸誌『すばる』を勧めてくれて、連載がはじまりました。

――なぜ短編にこだわったのでしょうか。

千早:やっぱり「同じ傷はない」というのを書きたくて。いろんな傷があることを提示したかったので。長編にすると不自然に傷痕のある人が集結する物語になってしまうし、そうなると、形成外科を舞台とした病院ものなどに絞られますよね。(笑)

 私は、人の傷に対して安易に「わかるよ」みたいな感じを出すのも嫌なんです。それで書いたのが、「この世のすべての」。外傷ではなく、心に負った傷の話です。バツンと容赦なく切るラストシーンなのですが、これは短編だからこそできました。

――本書は、「つけられた傷」だけではなく、「つけてしまった傷」についても描かれている点が印象的でした。「つけてしまった側」が抱える重責や痛みを書こうと思ったのには、理由があるのでしょうか。

千早:それは、被害者だけを書くのはフェアじゃないからです。「傷」について語る時、自分も加害者になる可能性を絶対に忘れちゃいけない、と思っていて。故意にしろ、無意識にしろ、誰かを傷つけてしまうことは絶対にあるので、悪意のある加害者の話を一篇入れようと決めていました。

 正直なところ、本書の物語はどれも『グリフィスの傷』というタイトルが当てはまるんですよね。ガラスについた目に見えない傷のことを「グリフィスの傷」と呼びます。その傷のせいで、強いはずのガラスが何かのはずみに儚く割れてしまう。では、どの傷にこのタイトルを当てはめようかなと考えた時に、加害者の話にしよう、と。被害者側の「傷つけられた」話だけだと、自分が加害者になる可能性を忘れてしまう気がしたんです。