【闘病】精密検査で一度は“良性”と告げられたはずが「乳がん」に…

AI要約

乳がんの検診の大切さや治療の経過、抗がん剤治療の大変さなど、S.Rさんの経験から乳がんについての理解を深めることができる。

S.Rさんの乳がん発覚までの経緯や心境の変化、治療方針の選択、抗がん剤治療中の困難な点などが詳細に描かれている。

記事からは、乳がん治療における検査や手術の重要性、副作用に対する苦悩、在宅勤務の助け、S.Rさんの強さや前向きな姿勢が伝わる。

【闘病】精密検査で一度は“良性”と告げられたはずが「乳がん」に…

S.Rさん(仮称)は、健康診断で精密検査の必要性を指摘され、その後の検査で「乳がん」が発覚し、手術や抗がん剤治療などを経験しました。主に女性に発症する乳がんですが、治療内容や闘病の大変さを知る人はそれほど多くありません。S.Rさんの話から乳がん検診の大切さ、標準治療の内容、患者さんの苦労などを知り、乳がんについての理解を深めましょう。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2024年2月取材。

[この記事は、Medical DOC医療アドバイザーにより医療情報の信憑性について確認後に公開しております]

編集部:

はじめにS.Rさんの経験された乳がんについて教えてもらえますか?

S.Rさん:

乳房内に発生する腫瘍のことです。女性には身近ながんとして知られており、初期症状はほとんどないものの、セルフチェックでしこりに触れたら疑った方がいい疾患です。

編集部:

S.Rさんが乳がんと発覚するまでの経緯について教えてください。

S.Rさん:

2020年7月に健康診断を行ったところ、石灰化が見つかったため、精密検査が必要との結果が出ました。そこで近所のクリニックを受診して細胞診をしたところ、そこでは「良性」との結果でした。もしかすると、この時に大きな病院で検査をしていれば、もっと早く判明していたかもしれません。翌年3月もクリニックを受診したところ、精密検査を勧められたため、改めて大きな病院で針生検などの精密検査を受けました。そして、5月に「浸潤性小葉がん」と診断されました。

編集部:

病気が判明した時の心境はどのようなものでしたか?

S.Rさん:

自覚症状はなかったものの、胸は何度か固くなっていると思っていたので、「もしかしたら」とは考えていました。それまでは健康だったこともあり、告知された時は頭が回らず、不眠の日々が始まりました。心療内科も受診するようになりました。

編集部:

かなりのショックだったと思いますが、不眠はいつごろ解消できたのでしょうか?

S.Rさん:

自分なりにヨガ、ストレッチ、アロマ、YouTubeなど色々な方法で眠れるか試しました。そのうちに「どうせなら好きな音楽を聴こう」と思うようになり、昔やっていたピアノも弾きたくなり、再開しました。そして、ちょうど化学療法も終わった時期に、乗り切ったことが自信にもなったのか、だんだんと眠れるようになりました。

編集部:

治療についての説明、実際はどのように進められたのかも教えていただけますか?

S.Rさん:

治療は乳房の全摘出術+自家組織での乳房再建術、続いて化学療法、放射線治療、ホルモン療法の順で治療すると説明がありました。ただ、診断を受けた病院の先生とは反りが合わない部分を感じたため、別のクリニックに治療をお願いしました。そして、2021年5月にセカンドオピニオンを依頼し、6月のセカンドオピニオンのクリニックで左乳房全摘・同時再建術(腋窩郭清レベルIII)、8~9月に化学療法のddAC療法(ドキソルビシンとシクロホスファミドという薬を2週間ごとに4サイクル投与する)、9~11月にddPTX療法(ddAC療法に引き続いてパクリタキセルを2週毎に4サイクル投与する治療法)も行いました。12月から2022年1月までは放射線治療、その後はホルモン剤のレトロゾールと内服抗がん剤のTS-1も内服しました。

編集部:

手術後の病理結果はどのような結果でしたか?

S.Rさん:

当初は浸潤性小葉がんの診断でしたが、病理結果で「乳管がん」だったこと、リンパ節転移が多数あったこともわかりました。

編集部:

抗がん剤治療中に大変だったことはなんでしょうか?

S.Rさん:

化学療法に先立ち、CVポートという治療専用の器具を体の中に埋め込むことでした。腕の点滴とは違って点滴漏れや針を刺す時の失敗の心配は要りませんが、毎回痛い思いをするのはすごく辛く、シールタイプの麻酔薬を処方していただき2時間前に貼って通院していました。抗がん剤終了後すぐ抜去したのですが、2年半たった今も傷に違和感があり、そのときの処理には不満が残っています。治療中は脱毛と毛嚢炎などの副作用はありましたが、それ以外の味覚障害や吐き気、手足のしびれは幸いにもありませんでした。

編集部:

なるほど。そのほかには?

S.Rさん:

がんを告知されたのはコロナ禍だったので、通院や検査を受けるのも厳戒態勢でしたが、そんな中で唯一よかったのが時期的に在宅勤務を許されていたことです。2度目の抗がん剤から脱毛が始まり、当時は仕事に集中できなかったことと、ウィッグも装着できないほど頭皮に重症の湿疹ができていて、治りも遅かったのですが、抗がん剤治療終了までの3ヶ月半を在宅勤務させてもらえました。会社の体質的にコロナ禍でなければ在宅勤務はおそらく認められることがなかったと思うので、そうでなければきっと退職していたと思います。