身体が不自由になり妻と離婚…飲酒運転で事故を起こした男性を待っていた「地獄の日々」

AI要約

令和6年秋の全国交通安全運動は、飲酒運転を含む交通事故防止を重点に据えて実施される。

飲酒運転の増加傾向や悲惨な事故が指摘される中、宮城恵輔さんは自身の過ちから得た教訓を活かし、飲酒運転の根絶に取り組んでいる。

宮城さんは若かりし頃の飲酒運転で事故に遭い、その後の生活に大きな影響を受けたことを振り返り、人々に警鐘を鳴らしている。

身体が不自由になり妻と離婚…飲酒運転で事故を起こした男性を待っていた「地獄の日々」

9/21から始まる令和6年秋の全国交通安全運動。10日間、主に交通事故防止の徹底を図ることを目的に実施される。

悲惨な交通事故が後を絶たない日本。中でも、特に問題視されているのが飲酒運転による事故である。

警察庁の発表によると、これまで減少傾向にあった飲酒運転の事故件数が、2023年には増加に転じている。これは、新型コロナウイルス感染症が5類に移行され、「飲酒機会」が増えたことが要因とも考えられているが、長年減っていた事故数が増加しているとなると、憂慮すべき事態と言えるだろう。

そんな飲酒運転の「根絶」に向けた活動を行う男性がいる。沖縄県に住む宮城恵輔さん(40歳)だ。

2005年、宮城さんは酒を飲んだ状態でバイク事故を起こし、両手が不自由になった。事故により、その後の人生が大きく変わってしまった彼は現在、自身の過ちを発信し「俺みたいになるな」と、飲酒運転の根絶に向けて尽力している。

2005年3月、数日前に21歳の誕生日を迎えたばかりの宮城さんは、友人が開く自身の誕生会に参加していた。夜通し酒を飲んだ後、泥酔状態のまま自分のバイクにまたがった。

「酔っていたせいか、自宅とは違う方角にバイクを走らせていました。間違いに気づいて、Uターンしたことまでは覚えているのですが、記憶があるのはそこまでです」

事故現場はUターンをした地点からやや離れた場所。酩酊していたため記憶も飛び飛びの状況だったことがわかる。事故後、目を覚ますと病院のベッドの上にいた。

「どうやら1~2週間ほど意識不明だったようで、そこで自分が事故を起こしたとわかりました」

当時、宮城さんはバイクの免許を取得して5年ほど。飲酒運転をしてはいけないことは当然わかっていたはずだ。

「実は、それまでにも数回、酒を飲んでバイクに乗ったことがありました。その時は、無事に帰れてしまったこともあって、『大丈夫だろう』という誤った思い込みがありました。事故当時、僕は娘が生まれたばかりだったのですが、人間として、親としての自覚が本当に足りなかったと、今でも後悔してもしきれません」