在ブラジル被爆者 森田隆さん死去 在外被爆者援護の道切り開く

AI要約

広島出身の在ブラジル被爆者の森田隆さんが100歳で亡くなった。

森田さんは被爆後、家族とともにブラジルに移住し、在ブラジル原爆被爆者協会を設立、被爆者の支援活動を行った。

最近まで元気に活動しており、ブラジルを訪れた日本の首相とも面会していた。

在ブラジル被爆者 森田隆さん死去 在外被爆者援護の道切り開く

 南米に暮らす被爆者を束ね、援護の道を切り開いてきた在ブラジル被爆者の森田隆(もりた・たかし)さんが現地時間12日午後5時55分、老衰のためサンパウロ市の病院で死去した。100歳。広島県湯来町(現広島市佐伯区)出身。葬儀は現地時間13日にサンパウロ市内で執り行う。

 旧日本軍の憲兵だった1945年、爆心地から約1・3キロの広島市山手町(現西区)で憲兵として防空壕(ごう)の仕上げ作業中に被爆。大やけどを負いながら、被爆した朝鮮王族を爆心地近くで見つけ宇品まで送ったという。

 56年、家族でブラジルに移住。84年、在ブラジル原爆被爆者協会を結成して会長に就いた。サンパウロで食料品店を営みながら、広大な南米で後障害などの不安を抱えて暮らす被爆者らを支えた。

 当時海を渡ると打ち切られていた被爆者援護法に基づく健康管理手当の支給を求め2002年3月、国などを相手取り提訴。韓国や米国の被爆者と連帯し在外被爆者への援護法適用を求める運動を率いた。ブラジルで証言活動も続け、ヒバクシャの言葉を知らしめた。

 今年3月に100歳を迎え、森田さんの名を冠したサンパウロ南部のタカシモリタ州立工業高でのお祝いの会に元気な姿を見せていた。5月には同国を訪れた岸田文雄首相とも面会した。