大阪府で“たったひとつの村”「千早赤阪村」には何がある?

AI要約

大阪府南河内郡千早赤阪村への旅を描いた記事。富田林駅からバスでアクセスし、楠木正成の活躍した金剛山の山中に位置する唯一の村を訪れる様子が描かれている。

地元のコミュニティバスの存亡の危機と、地域住民が危機を救うために運行を維持したエピソードも紹介されている。

千早赤阪村の静けさや自然豊かな環境が描かれ、古くから変わらない風景と歴史的な遺跡への訪問が読者に伝わる。

大阪府で“たったひとつの村”「千早赤阪村」には何がある?

〈関西空港のすぐ根元…“ナゾのふるさと納税の駅”「泉佐野」には何がある?〉 から続く

 今年の大河ドラマは、『光る君へ』。平安貴族の愛憎渦巻く人間関係が濃密に描かれている。これまでの大河ドラマとは雰囲気こそ違うが、なかなかの名作のひとつではないかと思う。

 で、過去の大河ドラマの名作となると、何があるだろうか。それこそ答えは人の数ほどありそうなテーマだが、個人的には1991年に放送された『太平記』は名作と呼ぶにふさわしい作品のひとつだろう。

 鎌倉幕府滅亡から建武の新政、室町幕府の成立と南北朝時代が舞台の作品だ。鎌倉幕府の終焉を描いた「鎌倉炎上」や、足利尊氏が弟の直義を毒殺する場面など、記憶に残るシーンが多い。

 そんな『太平記』で、キーパーソンのひとりが武田鉄矢が演じた楠木正成だ。鎌倉幕府と戦う前半では、河内の山中に城を構え、大軍で押し寄せる幕府軍をきりきり舞い。目を見張るような大迫力の合戦シーンだったことを覚えている。

 そんな大合戦の舞台が赤坂城や千早城。かつての河内国、いまでいう大阪府南東部、奈良県との県境に近い、金剛山地の山の中の城だ。そしてその山城の跡があるのは、大阪府南河内郡千早赤阪村。大阪府内では、ただひとつだけの村である。

 大阪府には、大阪市と堺市という、ふたつの政令指定都市がある。他にも、それら二大都市のベッドタウンたる衛星都市がいくつもある。まさに、圧倒的な文句のつけようのない大都市だ。

 が、そうした中にあっても、村はある。古くは楠木正成が活躍し、時代が下っていまも金剛山の山の中というのは変わらない。そして、大阪府唯一の村、千早赤阪村。いったいどんなところなのだろうか。

 そういうわけで、千早赤阪村にやってきた。

 といっても、千早赤阪村には鉄道は通っていない。公共交通でのアクセスとなれば、バスを使うほかない。玄関口になるのは、近鉄長野線の富田林駅だ。

 大阪阿部野橋駅から準急に乗って30分弱。コロナ禍以降中止が続いているが、かつてはPLの花火大会が夏の風物詩だった富田林。そのターミナルの駅前広場には、「楠氏遺跡里程標」と書かれた大きな石碑が立っている。

 楠氏とは、言うまでもなく楠木正成とその一族。石碑の古めかしさから察するに、昔から富田林が千早赤阪村の玄関口なのだろう。

 さっそく、バスに乗ろう。富田林駅前と千早赤阪村を結ぶバスは、だいたい1時間に1本ほど。駅前から終点の千早赤阪村立中学校前まで、20分ほどで結んでいる。富田林市と千早赤阪村、そして太子町と河南町の4市町村によるコミュニティバスだ。

 実は、このバスはもともと金剛バスという地元のバス会社によって運行されていた。しかし、運転手不足といういまの日本の現状を象徴するかのような理由によって昨年に廃業。

 バス路線もそのまま消滅してしまっては公共交通がなくなるという一大事に直面した4市町村が、コミュニティバスに引き継いで運行を維持したというわけだ。

 このあたりはメディアも賑わしていたから、記憶にある人も少なくないのではないか。いずれにしても、存亡の危機に瀕した千早赤阪村への大動脈は、かろうじて命脈を保ったのである。

 そんな蜘蛛の糸のようなバスに乗る。なんのことはない平日の真っ昼間。だからお客は少なくてとうぜんだ。そのわずかなお客も富田林市郊外の住宅地を走っているうちにパラパラと降りてしまい、千早赤阪村まで乗り通すお客はほかに二人だけ。そのうちひとりは、ハイキング姿に身を包んでいた。千早赤阪村を起点に、金剛山の山登りをするのだろうか。